映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2017.09.01 「エル  ELLE」 日比谷シャンテ

2017.09.01「エル ELLE日比谷シャンテ

 

よくぞまあここまで今の様々な問題をぶち込んだものである。情報量は大変なもの。それを単なる羅列に終わらせず、有機的に物語として、しかも一級のエンタテイメントとして纏め上げた脚本と演出は大変なもの。それもイザベル・ユぺールという肉体があったからこそであることは言うまでも無い。

レイプ、変態、親友の夫との情事、色ボケ老婆、散骨、レズ、それらを全て抱えて、ゲーム会社を切り盛りするアラフィフ(?)の 、強靭な精神とエロティックな肉体を持つミシェル (イザベル・ユぺール) 。遠くにいつも服役中の父親が居る。幼児を含む多数の殺害を犯したらしい。ミシェルが10歳の時。ファザコン? いやもしかしたらファザーファッカーの影もうっすらと有るのかも知れない。

冒頭、黒味にガチャン! とガラスの壊れる音だけがカットイン、サスペンスとしては上々のスタート。突然飛び込んで来た覆面の男にレイプされる。描写は生々しい。レイプ魔が立ち去った後、警察に通報するでもなく誰かに助けを求めるでもなく、平然と散らかったガラスの破片を片付け、浴槽に身を浸す。白い泡の奥から血の赤が浮き出てくる。次のカットは翌日、何事も無かったかの様に足早に出社する彼女。若いゲームクリエーターにダメを出す。警察へ届けないのは父の事件のトラウマがあるかららしい。若い社員から尊敬されてはいるが、好かれてはいない。たたみ掛ける編集、無駄なカットは一つも無い。

初めのうち、若い男、中年の男、会社の男、隣の男、次々に現れる男たちとの関係が解らなかった。全員、ミシェルの男に思える。イザベル・ユぺールだからそう見える。話が進むにつれて、それが息子であったり元夫であったり親友の旦那であったり隣人であったりが解って来る。少しづつ解って来る手際が見事だ。説明調は一切ない。自然に、会話と話の展開の中で解らせていく。犯人を捜すということは自分の置かれている今の状況を解明していくということなのだ。

カフェで突然初老の女から酷い嫌味な仕打ちをされる。“人殺しの親子が!”というような言葉を吐き捨てられる。ミシェルはそれに腹立てるでもなく、ただ受け止める。10歳からこの方、世間からずっとこんな仕打ちをされてきたのだ。世間と戦い続け、今のポジションを獲得した。父親が何で事件を起こしたかが短く語られたが、多分これは重要なポイントであるにも関わらず、全部を聞き取れなかった。ミシェルは警察も世間も敵だと思っていることは確かだ。自分だけを信じて生きて来たのだ。

だからレイプ魔を自分で突き止め様とする。犯人は妻も子もある隣人の男だった。

 

別れた夫は売れない作家でゲームの企画でミシェルの世話になっている。若い女が出来るが捨てられる。息子は、お腹の子供が自分の子でないことを承知で生意気な小娘と結婚する。小娘は息子をアゴで使う。元夫も息子もどこかでミシェルに依存している。

親友の夫と浮気をしたがそれはセックスをしたかっただけ。そう告白しても、親友との友情は壊れない。女同士、夫婦を超えた絆がある。二人はレズのセックスを試してみるがそれは上手くいかない。ミシェルの老母は若いマッチョ男に入れあげ、結婚すると息巻く。フランスのババアは凄い。ネットでミシェルを中傷する映像を流した会社の若いオタク男は、ミシェルに言われるままにペロッとオチンチンを出す様な奴だ。レイプ魔は子供もいるエリート、でも変態。妻は敬虔なクリスチャン。引っ越しの別れ際に、短い期間でしたが夫に付き合って下さりありがとう、と言う。全てを承知していたのだ。

男はどいつもこいつも優しくて情けない。自立していない。女はみんな逞しくて自立している。男は今や女の物語の背景でしかなくなった。主役は女だ、それもアラフィフ。

唯一、大人の男はトラウマの父親だけだったのかも知れない。母の遺言でミシェルが刑務所に面会に来ることを知った父親はその前に自殺する。この辺、僕には良くくみ取れなかった。その辺が解ればもっと深く楽しめたのだろう。が、解らなくても充分に面白い。アラフィフやり手女の、トラウマと遍歴と家庭と性的欲望が、丸ごと鷲掴みで描かれる。つまりは今の女の置かれた赤裸々な状況だ。それがちょっとだけデフォルメされてエンタメになっている。宗教の問題も入っているが、この辺は僕には解らなかった。

全体はサスペンス、音付けも冒頭のガラスの壊れる音や、CGゲームの音などをカットインしてあざとい位のメリハリ。話の展開も早い。余計な説明余計なカットは一切無し。女はいつも早足で歩いている。

音楽はサスペンス映画音楽の王道、弦を主体にしてマイナーの短い動機を繰り返す。多くはないが必要なところに絵合わせできちんと付けている。話の展開の速さについ音楽の細部を記憶し切れなかった。二度見する必要があるか。

 

最後は男どもの関係を全部チャラにして長年の親友と同居、レズへのトライだ。ラストカット、二人で墓地を歩いて行く後姿のなんとカッコイイことか。男の割り込む空きなんてない。

凍り付くような孤独を抱えつつ男と世間への積年の恨みを体現する、しかもそれを柔軟にやってのける、フランスのアラフィフ女は怖い。イザベル・ユぺールという女優あってのことか。

 

平日昼間、日本のおばさんたちで混んでいた。自立する女の映画くらいのつもりで見に来たか。きっと度肝を抜かれたことだろう。久々にエロくて痛快な映画を観た。

 

監督 ポール・バーホーベン   音楽 アン・ダッドリー