映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2017.11.29 「Ryuichi Sakamoto:CODA」 角川シネマ有楽町

2017.11.29「Ryuichi Sakamoto:CODA」角川シネマ有楽町

 

坂本龍一、65歳。9.11があり、3.11があり、自身が癌になり、かつてYMOで世界を席巻し、大島渚と「戦場のメリークリスマス」(1983) で出会い、ベルトリッチの「ラストエンペラー」(1987)「シェリタリング・スカイ」(1990) を担当し、癌の闘病中もイニャリトウの「レヴェナント」(2015) を好きな監督ゆえに受けてしまう。それぞれのエピソードが総花的に並ぶ。映画のシーンも幾つか挿入される。権利処理はさぞ大変だったことだろう。

初めから意図を持って作るドキュメンタリーも良いし、作る過程でテーマが浮かび上がってくるでも良い。最初に想定したテーマが製作の過程で別のものになることだってドキュメンタリーにはある。今までとは違う人物像が浮かび上がる、でも良い。

今更ながら、著名な人であり、様々な活動も知れ渡っている。それがただ並ぶ。残念ながらそこから立ち昇るものが無い。映像による「坂本龍一・入門」、それを劇場公開のドキュメンタリー映画として見せられてしまった。期待し過ぎたこちらがいけなかった。

 

映画が思ったより彼にとって大きなものであることは意外だった。脚本や監督やプロデューサーという他者の意向の下で100%自由な創作が出来ないことの不自由さ、逆にその面白さ、そこからの新しい自分の発見、それは映画音楽をやる作曲家の醍醐味であり、そのコラボがダメな人は映画音楽に向いていない。これは能力ではなく向き不向きの問題だ。坂本はそれが楽しめる方の人らしい。

「戦メリ」で出演依頼があった時思わず、音楽もやらせて下さい、と言ってしまったこと、「ラストエンペラー」で明日戴冠式の撮影をやるから音楽を作ってくれと突然プロデューサーのジェレミー・トーマスに言われて徹夜で作曲したこと、「シェリタリング・スカイ」の音楽録音現場でJ・トーマスからダメ出しが出て、モリコーネはその場で書き直してくれたと言われ、ミュージシャンを待たせてその場で書き直したこと、どれもエピソードとして一つ一つ面白い。海の向こうもこちらと変わらないんだとちょっと安心したりする。映画の人はいつも突然で強引だとは全く同感。その片棒を担いできた者としてはスイマセンと謝りつつも安心したりする。それぞれ面白いエピソードがブツ切りで並ぶ。僕としてはその辺をもっと突っ込んでほしかった。でもそうすると一般性は無くなるか。

 

同世代である。癌を患った。この人、宇宙の果てに思いを馳せている人だなあと感じた。若い頃のツッパリが抜け、飄々穏やか、この姿は素敵だ。音楽とは何か、という源流に遡っている。自然が発する音への関心が語られる。北極にまで、音を釣りに行く。決してこれまでの構築された音楽を否定するわけではない。でもそれが作り上げられた以前、音楽の源、音の原型に関心が向いている。そこを掘り下げるドキュメンタリーにするのは難しかったか。虚構の手を借りる必要が出てくるかもしれない。そうすると別物になってしまうか。自身のアルバムでそれを表現しようとしているのかも知れない。

ドキュメンタリーとしては羅列を超え切れず、底が浅い。でも今の坂本龍一は実にイイ感じになっていることは伝わる。

劇伴に相当するものはない。演奏シーン同録の坂本の音楽が多数。

 

監督.スティーブン・ノムラ・シブル  音楽.坂本龍一