映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2018.2.09 「スリー・ビルボード」 シネリーブル池袋

2018.2.09 「スリー・ビルボード」シネリーブル池袋

 

アメリカ中西部ミズーリ州の片田舎、黒い山並みと町のロングにソプラノで「庭の千草」 (原曲はアイルランド民謡) が流れる。荘厳な感じがする。何が始まるのか。

中年女ミルドレッド (フランシス・マクド―マンド) が広告屋に立て看板3枚を依頼する。迷った車位しか通らない様な道沿いの立て看板。一か月の広告料5000ドルと原稿を渡す。“娘はレイプされ殺された”“警察は何もしてくれない”“ウェルビー署長、早く犯人を捕まえて”(大よその意味) そんな文字だけの看板、荒野に突っ立って異様だ。

翌日、田舎町は大騒ぎとなる。ウェルビー署長 (ウッディ・ハレルソン) は白人の間ではそれなりに人望があるらしい。マスコミが飛びついて現地からリポートする。ミルドレッドは一躍時の人となり、同時に町中を敵にまわすこととなる。この町の白人は大半が裕福ではなさそうだ。プアホワイト、白人であるということが唯一のすがり処の、まさに今、トランプを支持する人々だ。

ミルドレッド、娘は殺され、息子が一人、夫は家を出て19歳の小娘と暮らす。

ウェルビー署長には若い妻と幼い娘が二人 (双子?) 、実は癌を患っている。余命幾ばくもないことは町中の人が知っている。

署長が可愛がる部下ディクソン (サム・ロックウェル) は黒人差別主義者ならぬ有色人種差別主義者。暴力でしか自己表現が出来ない。しかもマザコン。老母と二人暮らし。老母はかつての南部を懐かしむ。ディクソンが言う。”俺はキューバ人のホモが大嫌いだ” 共産主義と同性愛、日本で言うところの“露助のホモ”を彼の地ではそう言うのか。

牧師が説得に訪れ、元夫も止めてくれと言いに来る。息子はいじめられ、ミルドレッドの同僚の黒人女は不当に逮捕される。ミルドレッドを取り巻く人々が手際よく描かれて、そこに閉鎖的で保守的な町全体が生々しく立ち現れる。ミルドレッドも娘の事件が起きるまではその一員だったのだ。小男のメキシコ人を見下していた。

署長が癌を苦に自殺する。それを、看板が署長を追い詰めたと巧みにすり替えて、ミルドレッドへの反感はピークに達する。ペラペラのTVマスコミは直ぐにそっちへ乗り換える。どこの国も同じだ。何でも許される、そんな雰囲気が街中を覆う。ディクソンは広告屋をボコボコにして二階から突き落とす。ミルドレッドは警察に火を放つ。暴動はこうして起きるのだ。

署長は遺書を残していた。ディクソン、君には警官としての才能がある、ただキレルのは良くない、キレないで冷静に物事を見つめよ。ミルドレッド、捜査はしたのだ、しかし犯人をあげられなかった、すまないと思っている、看板は続けてくれ、と一ヵ月分の広告料が添えられていた。(大体の意味)

署長の遺書は潮目を変えた。さらに新しい署長は黒人で冷静な人だった。みんなの中に少しずつ相手をおもんばかる気持ちが芽生える。

 

ミズーリ州、アメリカの中央、かつては西部への入口だった。遅れてやってきたアイルランド系移民は必死で自分たちの居場所を作ったのだ、おそらく。冒頭の「庭の千草」がそう語っている。南部の奴隷制の下、良い暮らしをした白人の郷愁も流れ込んでいる。今はメキシコ人もいる。複雑な民族感情。

ミルドレッドも差別撤回なんて微塵も考えていない。ただ娘がレイプされて殺された。警察は動かない。それへの怒りだ。

アメリカはまず暴力だ。何事もそこから始まる。僕など彼の地に生まれたら生きていけなかった。バンダナ巻いて繋ぎの戦闘服を着てミルドレッドの強いこと。シガ二―・ウィーバー以来の強さだ。みんなそれぞれに怒っている。多分背景に ”俺たちの町” がある。そこによそ者が入って来た。”差別はいけない” という金看板を掲げて。

遠い日本から見た時、何でトランプなんかを支持するのか、アメリカ人は馬鹿か、と思っていた。立場を変えるとそれなりの言い分も解って来る。それ以前にはインディアンの征服がある。これって世界中どこにでもある話なのだ。砂漠、多分シリアあたり、レイプを自慢げに語る元米兵らしき男の話がさり気なく挟まる。

署長の遺書と、燃える衣服を消火してくれたメキシコ人のジャケットと、一杯のオレンジジュースが、ディクソンを変えた。現実はそんなものなのかも知れない。ディクソンは犯人捜しの為に大火傷の身で体を張ってくれた。

初め犯人はてっきりディクソンだと思っていた。そう思わせて引っ張る意図はあったと思う。ミルドレッドとディクソンは対立の象徴である。それが最後は二人して悪い奴らを懲らしめに行く。けれど悪い奴らをヤッたところで憎しみの連鎖は止まらない。本当にヤル? 道々考えよう。許すことを知った二人の、良い終わり方である。

 

こうして書くとリベラルなよくある話になってしまう。映画は全く違う。これは脚本監督のマーティン・マクドナーの腹の中にだけあり、映画は怒れるヒロインの復讐劇。いちいちカッコイイ。ミルドレッドは鉄壁の怒りに身を包んで、めげない、笑わない。最後の方、一回だけ笑ったが何のシーンだったか。我が劣化する記憶力が哀しい。

犯人は現れず、復讐劇は追及の過程で少しずつ自分自身や周りが変わっていくという話に変化していく。ミルドレッドと一緒になって怒っていた自分が、気が付くと人を許す気になっている。

 

音楽、冒頭の「庭の千草」の直後に入るのはギターがメロを取るスローな曲。後ろに弦が薄く這っていたか。そしてカントリーを基調としたバンド編成の劇伴。ギターかピアノがメロを取る。どれもベースの低音が効いている。何だかんだありながら、みんなしっかりと大地に根ざしている、とでも言う様に。人間ドラマの背後にはいつもそびえ立つ山並みがあり、広大な荒野がある、人間の喜怒哀楽を見守る様に。ベースはこの大自然と呼応している。

物語の展開に合わせた音楽はほとんど既成曲が受け持ちメリハリを付ける。カントリーミュージックを中心に上手い選曲上手い充て方。これがあるのでオリジナルの劇伴は大ロングの視点で付けられる。

 

かつての西部劇の復讐ものを一捻りして、密かに社会派的視点を盛り込んで、いつの間にか考えさせられつつ、カッコイイ娯楽作品として纏めた、見事な作品。細やかな思いやりが違いを乗り越える、ありきたりだがこれしかない。優しくて強力な反トランプ映画、アメリカもまだ捨てたものではない。(これはイギリス映画?)

 

「庭の千草」が耳から離れない。たった一曲がいかに多くを語るものか。

 

脚本監督. マーティン・マクドナー   音楽. カーター・バーウェル