映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2018.2.07「嘘を愛する女」日比谷シャンテ

2018.2.07 「嘘を愛する女日比谷シャンテ

 

5年も一緒に暮らしていた男の、名前も仕事も免許証も嘘だった、全く何者か解らない、こんなことってあるだろうか。どこかでアレっ? と思う瞬間は無かったか。

ふとしたことから猜疑心が起きる。一旦起きた猜疑心は止めようもなく、真実を知りたがる。真実なんて解らないままにしておく方が良いことは一杯ある。しかしそうは行かないのが人間の習性だ。そうした方がドラマは膨らんだのではないか。

この映画のヒロイン由加利 (長澤まさみ) に猜疑心は起きなかった。相手の男桔平 (高橋一生) がクモ膜下で倒れ、警察からの連絡で初めて知る。この男は一体何者なのだ? ここから男の正体を突き止める旅が始まる。「嘘を愛する女」ではなく「真実を追求する女」である。

由加利はウーマンオブザイヤーにも輝いたやり手女、3.11の混乱の中で出会い、一緒に住むようになる。結婚も考えている。が、男が煮え切らない。普通ここで猜疑心が湧くけどなぁ。

桔平が残した書きかけの小説を頼りに探偵 (吉田鋼太郎) と共に、桔平の正体捜しの旅に出る。その過程で自分の仕事中心の生き方が洗われていく。自己中のイヤな女が普通になっていく。

突き止めた桔平の正体とは、こちらも有能な医師で月の半分は家を留守にするという仕事人間。幼い娘を抱えた妻は育児ノイローゼから娘を殺し、自分もトラックに飛び込んだ。以来桔平は過去を全否定して、流れ者として別の人生を歩む。男も女も同じような精神的履歴を持っている。ちょっとありきたり。

最後は昏睡状態の桔平の枕元で由加利が長々と懺悔をする。すると桔平の目から一筋の涙、意識が戻ったのだ。つまり、あなたのことが解りました、私も変わります、お帰りなさい、ということ。

僕は「嘘を愛する女」というタイトルと思わせぶりなポスターから、てっきり大人になった長澤の魅力を全面に出した少しエロティックなフランス映画のようなサスペンスを期待していた。それがとってもこじんまりしたアラサー女の自分捜しの映画だった。おまけにエンドタイトルで松たか子の如何にも等身大という主題歌が流れる(歌詞は聞き取れなかったが)。あまりに当たり前の話にこじんまりした主題歌、物語の芳醇がどこにもない。僕が勝手に期待していたものと違っていただけなのかも知れない。アラサー女性は共感するのかも知れない。

まるで5年間が記憶喪失だったように思えてならない。桔平はまっさらになって由加利と5年間を過ごした? そんなことある訳がない。例えば、TVから流れる歌に桔平が突然パニックする、死んだ娘が良く口ずさんでいた歌だった、とか。こういう時に歌は便利だし、上手く使えば良い演出になる。ガンダムのプラモデルよりきっと効果的だ。そんな些細な仕掛けを張って事件が桔平の中に生々しくあり続けていることを示すべきだった。

 

「海街ダイアリー」以来、長澤まさみは一皮むけて存在感のある役者になったなぁと思っている。「散歩する侵略者」も良かった。美貌と抜群のスタイル、但しこの美貌、笑うと底抜けに明るい。100%明るい天真爛漫で綺麗なお姉さんになってしまう。女優を突き抜けてしまう。長澤が存在感を発揮するのは100%笑いをしない時だ。この映画でも唇を横にしてシニカルに半笑いするカットがあった。あそこで止めなければいけない。随分前のNHK大河ドラマで時代に翻弄される忍び実は真田幸村の妹 (確か、出演回数は少なかったが) をやった時、半笑いすらせず、ひたすら思いつめた様な表情をしていた長澤、これが良かった。長澤には暗い役をやらせた方が良い。勝手なことを言ってすいません。この映画では何ヶ所か100%笑いをしていたなぁ。コントラストを付ける為だったのだろうけど。

高橋一生、この人は居るだけで何かを抱えている感を醸し出す。存在感ある良い役者ということである。けれどこの人も笑うとラクダ顔になる。この顔をされると何か抱えている感が吹っ飛んでしまう。この人も笑わせてはいけない。

 

出会いの3.11が単に小道具化している。エキストラの動きも緊迫感無し。

吉田鋼太郎の探偵は良かった。奥さんの浮気を知って、娘を自分の子ではないのではと疑ってしまう。DNA検査の結果、99.9%自分の子。娘が、あの人99.9%私のおとうさんというエピソードは良い。

 

音楽、富貴晴美。真っ当な手堅い劇伴を書く。オーケストレーションもしっかりしている。この映画でも硬質なピアノとバックにシンセを這わせた曲が前半の謎めくところに付けられる。必要な所に的確に付けている。ピアノがフルートに変わりチェロに変わりして、バックも生の弦になったり、とってもシンプル。真っ当で当たり前。昨今真っ当で当たり前の劇伴が少なくなっているので、これは貴重だし評価すべきである。

ここからは敢えての要望。こういうひねりのない真っ当過ぎる映画こそ、音楽が強引に色付けしても良かったのでは。ブルガリアとかイランとかアイルランドとかガムランとか、あるいはギターだけとか、色合いのはっきりした民族音楽や楽器で全体を色付けしてしまう。もちろんこれは監督との相談の上だが。奥行の無い映画が時として音楽で全く違った奥行を醸すことがある。この映画はそんなことをトライしても良かった気がする。

絵面に合わせたばかりの足し算の劇伴、目を見張る様な掛け算の映画音楽に出会いたいものである。

 

監督. 中江和仁  音楽. 富貴晴美