映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2018.04.10「素敵なダイナマイトスキャンダル」 テアトル新宿

2018.04.10「素敵なダイナマイトスキャンダルテアトル新宿

原作は雑誌「写真時代」の伝説の編集者末井昭の自伝。僕より一つ二つ上か。ほとんど我が青春と重なる。喫茶店のシーン、青臭い議論にさえ加われず、奥で一人暗く座っている僕が居てもおかしくない、それ位親近感があった。喫茶店の作り、バーの作り、キャバレークインビー、下宿の家賃、どれもあの頃のマンマ、良く再現している。

僕は「噂の真相」(編集.岡留安則) を毎月欠かさず読んでいた。岡留、末井はサブカルの伝説の編集者。何の取り柄もない僕は、二人はどんな生活をしているのだろうとあこがれを持って見ていた。

映画とほぼ同じ時代を欲求不満と何者でもない者として生きた僕には、あの頃が熱く高揚した時代だったと素直に懐かしく思うことは出来ない。

 

隣家の若者とダイナマイト心中した母 (尾野真知子) を持つ末井 (柄本佑) が、地方から上京し、キャバレーの看板描きをやり、スッポンポンで盛り場を疾走して (当時流行ったストリーキング) 道路に人拓を描き、エロ雑誌編集に関わり、“情念”を旗印にサブカルの世界でのし上がっていく様を痛快に描く。アラーキーやら田中小実昌やら南伸坊やら、それらしき人が出てきて、あの頃の新宿の匂いがプンプンする。きっとみんなそれなりの葛藤を抱えながら、才能とエネルギーでぶっ飛ばしていた。映画は時々末井の原点であるダイナマイトママをインサートしながら、痛快ぶっ飛ばしの方に軸足を置いて、決して暗くならずに描く。頭デッカチの挫折なんて糞くらえ。それは自由で好き勝手にやれた黄金時代だった? 少なくともこの監督にはそう思えたようだ。いつの間にか僕も、あの時代は面白かったんだ、という気分になってしまった。葛藤の方はサラリと流して、痛快サブカル青春物語にしたのは正解だったかも知れない。

 

音楽、菊池成孔小田朋美。Pfでアヴァンギャルドなフレーズ、ところどころにしっかりと書かれた弦カル、後半でSaxがクレイジーなフレイズ (これが菊池か)、もう一つ、タイトルバックや何ヶ所かに、かつての東宝の社長シリーズとかサラリーマン物に付いていたようなマリンバがメロを取る大き目な編成のハリウッドの匂いのする音楽が付く。全く異質な四種類の音楽が付けられ、違和感が無い。変に統一感を持たせるよりこの映画には合っていた。

ただタイトルバック等に付けられた大き目の編成の曲、あれだけはちょっと違うのでは? と感じた。Pfも弦カルもSaxも、決して明るい印象ではない。コントラストを付ける為、敢えてノー天気な音楽にしたのかも知れない。しかしあの時代、すでにあのノー天気は無かった。僕なら「太陽は一人ぼっち」(コレットテンピア楽団?) のキャバレー風Saxとか、「サンライトツイスト」(「太陽の下の18歳」主題歌) みたいな、安っぽい感じのロックを付けた。

 

夢の様な恋のテーマと言った意味合いで「夢のカリフォルニア」(ママス&パパス) が効果的に使われている。彼女との箱根芦ノ湖小旅行、遊覧船にスピーカー細工で流れるのも良かった。あのエピソード、現実には相当ドロドロしたはずだ。「夢のカリフォルニア」が爽やかな青春の一ページに無理矢理纏め上げている。

 

ローリングに主題歌。お母さん役の尾野と本物の末井が時空を越えてのデュエットである。力の抜け具合がとっても良い。

 

観終わって、劇場入口に貼り出されている新聞や雑誌の宣伝記事に目を通した。中に末井昭柄本佑 (熱演) の対談記事があり、末井の写真が掲載されていた。初めて顔を知った。とっても穏やかな顔をしていた。映画が完結した気がした。

 

監督.冨永昌敬   音楽.菊池成孔小田朋美   主題歌.尾野真知子、末井昭