映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2018.08.28「銀魂2 掟は破るためにこそある」丸の内ピカデリー

2018.08.28「銀魂2 掟は破るためにこそある丸の内ピカデリー

 

パチンコのプロの話だと思っていた。前作は観てない。原作が漫画らしいことは想像がついた。パチプロの話ではなかった。

テレ東深夜で福田雄一の名前は知っていた。福田のドラマはペラッペラで有ること無いことをその場の勢いで話して、でもそれが視聴者との地続き感を作り出していて、深夜TVというワクに合っていて、笑えたし面白かった。言葉の面白さだと思った。面白い言葉のアイデアが湯水の如く湧く人なのだろう。時空を越えて出来る限り突拍子もない話にする。それをリアルとは真逆の安手の作り物感を前面に出して表現する。その上に気の利いた言葉が躍る。ストーリー性を持たせたバラエティー、こんな人が出て来たんだ、と思った。同じテレ東深夜から登場した大根仁とは真逆だ。

この面白さは映画で可能だろうか。福田の映画、僕は初めてである。

 

冒頭、ナレーションで、昨年の日本アカデミーの主演男優賞は菅田将暉だった、去年の邦画の興行成績は「銀魂」が第一位で、でも主演の小栗旬は賞にカスリもしなかった、そんなやり取りが小栗と菅田の掛け合いで捲し立てられる。ワーナーのスタジオのロゴ画が何度も出てくる。これがアバンだ。バックステージばらしの自虐ネタ漫才だ。少し笑えた。TVだったらもっと笑えた、きっと。

本筋の冒頭は大家のババアお登勢 (キムラ緑子) のドUPで、家賃払え! 金稼ぎの為に開くことになるキャバクラ、そこに登場するのが、福田組のレギュラー佐藤二郎。例の調子で矢継ぎ早にアドリブの乱れ撃ち。TVで初めて見た時、何て面白い奴だと思った。それから何年経ったか。相変わらずのワンパターン。ワンパターンが悪いとは思わない。TVで見れば今でも可笑しい。ただ、これは映画だ。真っ暗な中でこちらの感度は上がっている。口から出まかせペラペラ言葉は頭の上をちょいとカスっただけで通り過ぎてしまう。少しも笑えない。しかも長いクドイ。映画館で僕が期待するものとは異質だ。それはこの映画全体に言える。TV的ノリをお金をかけて盛大にやってもただただ上っつべりをするだけ、頭にも心にも沁みない。

 

話は一応、真選組の内紛。近藤勲 (中村勘九郎) が出てきて土方十四郎 (柳楽優弥) が出てきて沖田総悟 (吉沢亮 ) が出てきて桂小太郎(岡田将生) が出てきて、高杉晋助 (堂本剛)、徳川茂茂 (勝地涼)、平賀源外(ムロツヨシ) まで出てくる幕末人気者オンパレード。そこに小栗旬菅田将暉と橋本環奈が絡む。裏切り裏切られ、でも最後は友情の熱い絆である。絆はCGの発光する線で視覚的に現わされる。マッドマックスもどきあり、西部劇の列車のアクションあり、未来都市を背景にしたスターウォーズもどきの一騎打ちあり。時代考証何てなんのその、ポップで破天荒、何でもありのギャグだらけ。

役者にはそれぞれ見せ場もあり、みんな楽しそうに演じている。一人、異質の歌舞伎芝居をする勘九郎 (それを狙ったキャスティングか) が、いつもは浮くのが、妙にこの軽~い映画の重しになっている。

 

言葉や瞬間芸や思いつきなどの小技、TVはこれが命だ。リアルタイムのメディア、TVにはしっかりとしたドラマは向いていない。あっても良いがメディアの本来の特性には合っていない。

逆に小技は映画では弾き飛ばされる。大枠がしっかりしたところにチョコっと出る小技は効く。が小技を集めただけでは映画は成立しない。TVと映画では見る側の感度が違うのだ。

暗闇、大きなスクリーン、大きな音、片や明るい茶の間でお煎餅バリバリ食べながら。前者は感度が上がり、より繊細な表現が可能となる。後者は日常のゆるい集中力の中で、より単純に分かり易く、刺激的で短い表現となる。バラエティーの5秒トークである (バラエティーのトークは5秒以内、10秒しゃべると流れが止まる)。

そこだけ切り取れば笑える所は一杯ある。いわばコント集。それを一応はある筋に則して置いていく。でもそれを映画としてひとつに纏める腕力がない。

数日前、「カメラを止めるな!」を観た。こちらもドタバタ、けれど身体を張ったドタバタ、言葉の小技ではない。背後に溢れる映画愛がある。

 

この映画、フカフカの安物のお煎餅を食べている様、味に芯がない。それでも劇場にはフカフカ煎餅食べて喜んでいる女の子たちが沢山いた…

 

ドタバタ映画は好きである。「モンティパイソン」は大好きだった。歳をとって僕の感性が保守的になったのかも知れない。何度もそう疑った。でも掟破りのギャグを、掟破りということだけで喜んでいたのだ、あの頃は。ガツンと来る映画は、いくら人気者を揃えても、いくら思いつきアイデアを並べても、いくらお金をかけても、気の利いた言葉を並べても、それだけでは成立しないのだ。

 

役者は総じて生きいきとしている。同世代が集まって、現場は楽しかったのかも知れない。

小栗旬はちょっと良いなと感じた。少し風格が出て来た。

 

音楽、時々大きい編成が聴こえた。全部Synかと思ったら生オケも使っているよう。この映画に生は贅沢! ドタバタの背後で鳴らすだけの音楽は作曲家にとって、楽しい仕事ではないはずだ。

 

監督. 福田雄一   音楽.瀬川英史