映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2018.08.27 「カメラを止めるな ! 」 TOHOシネマズ新宿

2018.08.27「カメラを止めるな ! 」TOHOシネマズ新宿

 

ユーロスペースに行ったら満席、次の回も立ち見です、この歳で立ち見はキツイ。拡大公開になってTOHOシネマズ新宿に行ったらまた満員、次回も満員です。先日ようやく観ることが出来た。左端、前から3列目。これは映画を正しく見る環境ではない。取り敢えず見る。端から見るスクリーンは歪で音も抜けが悪い。しかし始まるとそんなの気にならなくなった。もともと全編手持ちカメラでブレまくり、音はモコモコで台詞も良く聴きとれない。でも映画にはそんなことを忘れさせる力があった。

 

廃墟と化した化学工場跡の様なところ、ゾンビ映画の撮影中。ヒロイン逢花 (アイドル・秋山ゆずき) の恐怖の顔が気に入らなくて何度もやり直してTake40、堪らなくなって助監が “休憩にします!” 監督 (濱津隆之) の入れ込みようは半端ではない。神谷 (売り出し中のイケメン・長尾和彰) が逢花を慰める。さりげなく “今夜行っていい?” あっ、「ラジオの時間」(1997 三谷幸喜監督作品) だ。パニックするプロデューサー西村雅彦がAD (奥貫薫) にそれとなく同じ台詞を言っていた (正確ではない) 。

ここ、戦時中人体実験が行われたところなんですって、と記録のオバサン晴美 (監督の妻・しゅはまはるみ) が言う。そこに突然ゾンビが現れ、スタッフの一人を襲う。それからはグチャグチャだ。画面に編集の痕跡がない。手持ちカメラのワンカット回しだ。逢花は悲鳴を上げ、監督は “それだよ、その表情だよ、出来るじゃないか” と喜ぶ。噛まれてゾンビ化したスタッフがドアから出たまま襲ってこない。何か間が抜けている。すると晴美が突然TVで見たという護身術 “ポン” を披露する。何だ、これは? 手持ちカメラだけが慌しく動く。ようやくゾンビ登場。カメラは繋がりもヘッタクレも無く強引にドアから入って来るゾンビにパンする。

ゾンビが外に飛び出す。カメラも後姿を追って一緒に飛び出す。走り回った末、草むらで画はローアングルのフィックスとなり、走り去るゾンビがフレームアウトした後もそのままローアングルでカラ舞台を映し続ける。初めてのフィックス、目まぐるしい画面の連続だったので、落ち着いた画面にホッとした。暫くそのまま、画面からゾンビが消えてかなり経つ。走り去ったゾンビが再びフレームインしてくるのか。ちょっと長すぎる。突然カメラが起き上がって見失ったゾンビの後を追う。

ハラハラドキドキというよりシッチャカメッチャカ。最後は屋上、ゾンビ化した神谷の首を切り落として血しぶき浴びたヒロイン逢花のクレーンカット。そこにローリングタイトルが被る。何が何だか分からない目まぐるしさ、草むらローアングル以外、動き回りブレまくるカメラ。美男美女とは言い難い無名の俳優、いかにも自主映画スタッフといった感じの、スタッフ役の役者達 (役者なのかスタッフがそのまま演じているのか?) 、何なんだこれは!

 

ローリング終了と同時に『一か月前』というテロップが入る。そこから前半30分の訳分からない映画の製作に至る種明かしが始まる。伏線の回収なんて知的なものではない。種明かしだ。

監督は、早い安いソコソコが売りの、再現ドラマやカラオケ映像で食いつなぐ、若い頃の情熱を失ってしまった人。妻は元売れない女優、思い込みが強すぎて敬遠され仕事は自然になくなった。今でも夫の仕事の脚本は100回読み込む。カエルの子はカエル、娘も映像制作に携わるが、母親譲りの思い込み、周りと折り合いを付けられず、スタッフから疎まれている。

そこに新たに開局するゾンビチャンネルの開局記念企画、30分生放送全編ワンカットのゾンビ映画という企画が持ち込まれる。それが前半のシッチャカメッチャカ映画だったわけである。

この状況説明の一連、ほとんどTVの再現ドラマレベル、ノッペリと平坦、演出以前。しかし前半と後半のブリッジとして、意図的なのか偶然か、このノッペリ感は案外効果的だったかもしれない。

後半は前半の映画をバックステージから捉える種明かし篇。

 

映画は通常細かいカットで構成される。どのようなカットの積み重ねでシーンを作るかは映像作家の文体のようなものだ。その中に最もシンプルかつ困難なワンシーン・ワンカットという方法がある。一つのシーンをカメラを止めずにワンカットだけで撮り切る方法。

例えば二人だけの会話のシーンでもカメラを止めずに撮るから、話す二人の表情を撮るにはカメラが行ったり来たりしなければならない。それに伴い照明も変わる。録音のマイクは写り込まないようフレームの外を逃げ回る。隅にチラっと写ろうものならカメラマンに怒鳴り付けられる。役者もワンシーンの台詞や動きを全部覚え込んで、止まることなく演じなければならない。スタッフキャストは大騒ぎだ。

まして動きの大きいゾンビもの、その上ワンシーンではなく、全篇をワンカットで撮るというのだ。想像を絶する困難さである。

 

例えば、腕を切られたゾンビ、右手が吹っ飛ぶ。カメラが床に落ちた腕を映す。その間に肩から先の無い作り物を付けて血のりを頭からかける。カットが割れれば床に落ちた腕を写したところでカット、ゆっくりと肩から先のない作り物を付け血のりを被って、そこから、ハイスタート! となる。ワンカットだとそうは行かない。しかも同時生放送。いつまでも床の腕を写す訳にはいかない。悲鳴入れて時間稼ごう。脇の女優が悲鳴を上げる。まだ準備出来ない。カンペにもう一回の指示、不自然な悲鳴が何回も繰り返されたとしたら裏にそんな事情があるのだ。

事ほど左様にワンシーン・ワンカットはスタッフキャスト共に、秒単位の打ち合わせが必要なのだ。それが全編しかも同時放送、前半の30分映画はそんな最上級の困難の縛りの中で作られていたのだ。そんな事情が分かると見方も変わって来る。

どんなに綿密に打ち合わせをしても必ずアクシデントは起こる。スクリプター役の女優が渋滞にはまって間に合いそうもない。生放送、開始を遅らせる訳にはいかない。脚本が頭に入っていて元女優、監督の妻晴美が急遽スクリプター役になる。

撮影開始! カメラ回り出す。もう止められない。出てくるはずのゾンビが出てこない。何でもいいから引き延ばして! のカンペ。そこでスクリプター・晴美がやったのが最近ハマっていた護身術 “ポン” である。この頃になると笑いが止まらなくなっていた。声上げて笑っているのは私だけ。撮影現場を多少知っている人の方が笑えるのかも知れない。

“私はいいんですけど事務所が…” のアイドル逢花、“ここは変えて下さい、理屈に合わない” と理詰めでゴネるイケメン神谷、"でもそこは…、分かりました、そうしましょう!” のソコソコ監督。居る居るアルアルの連続、その都度笑いながら頷く。

 

ローアングルのフィックスはカメラマンが転んで、カメラが草むらに放り出された為だった。暫くして撮影助手の女の子がカメラを拾い上げてゾンビを追う。

プロデューサーは「ただ今事故により放送が中断しております」(不確か) という非常事態用テロップを用意していた。ドタバタで話も繋がらなくなり非常事態、プロデューサーからテロップの指示が出た。“待って!” 娘が台本をめくり乍ら、ここをカットしてこのシーンへ飛べば話は繋がる! 直ぐに現場に指示が飛ぶ。テロップは使わないで済んだ。

最後は屋上、ゾンビになってしまった愛する神谷の首を切り落として空を見上げる逢花のクレーンカット (クレーンを使って高いところから撮るカット)。ところがクレーン機材が落下して使えない。プロデューサーがクレーン無しで行こう!  この時ばかりはソコソコ監督が意地を見せた。どうしてもクレーンで撮りたい。そんな父を見直す娘。さりげなく家族の話にもなっているのだ。なんと我が目頭が熱くなってしまった。お父さんは娘を育てる為にソコソコと言われながら頑張ったのだ。

“手の空いているスタッフキャストは屋上に集まってください” 屋上に築かれた人間ピラミッド、そのテッペンから、血のり滴る逢花の、クレーンカットならぬ人間ピラミッドカット、放送終了まであと5秒、崩れずに持つか、4, 3, 2, 1 無事放送は終了した。ピラミッドを作るみんなの目はゾンビだった。映画作りという毒に感染してしまったゾンビたち。映画に憑りつかれてしまったゾンビたち。

 

観終わって爽やかさが残った。「ラジオの時間」(こちらはラジオの深夜放送が舞台) の、喧嘩や言い争いが散々あった後、放送が何とか終了して、夜の明け始めた街へみんなそれぞれに “お疲れ様、また仕事しようね” と散って行く。あの性懲りもないラジオマンの爽やかさに似ている。

「ラジオの時間」を意識しているのは確かだろう。しかしあちらは潤沢な製作費とズラリ揃えたスター、技術も一流スタッフを揃えて、画面はクリア音もスッキリ、とっても面白く洗練されていた。

こちらは自主映画、お金は無くノンスター、技術的にも至らない所多々。しかしそれを逆手に取って、30分生放送全編ワンカットという設定にした。これで諸々の不備や技術的稚拙さは設定の中に吸収されて、逆にそれがリアルとなる。何と頭の良い設定なことか。撮影現場で日々行われていることが、傍から見るとドタバタの抱腹絶倒喜劇であること、それを夢中になってやっている大の大人はみんな映画に憑りつかれたゾンビであること、何と映画愛に満ちたことか。

 

音楽、EGがガンガン飛ばしてノリを作る。ドラマに付ける云々ではない。ノリが大事だ。それ以上の細かいことを覚えていない。映画に圧倒されてしまい、音楽の細かいところに気が回らなかった。上手くいっていることだけは確かだ。

 

監督.上田慎一郎  音楽.永井カイル  メインテーマ.鈴木伸宏、伊藤翔