映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2018.10.15 「止められるか、俺たちを」 テアトル新宿

2018.10.15「止められるか、俺たちをテアトル新宿

 

1970.11.25 三島由紀夫が割腹自決をした。それを若松孝二 (井浦新) が ”本気だったんだ”という。

あの頃の新宿ゴールデン街、行った事がある店が出てくる。若松、足立正生荒井晴彦大和屋竺、高間賢治、大島渚葛井欣士郎赤塚不二夫、クマさん・篠原勝之 (これは本人?) などが、役者が演じているのだが、みんな実名で出てくる。名前くらい知っている人、写真や映像で見たことある人、遠目で実物を見ている人。佐々木守が「ウルトラマン」の脚本を書いたとか、大和屋竺がTVアニメ「ルパン三世」の脚本を書くらしいとか、当時聞いていた話である。「女学生ゲリラ」(1969若松プロ 監督.足立正生) は大学キャンパスの中で見た。その頃、僕は二十歳の若造、これらの人たちは僕には輝いて見えた。

 

事務所にズカズカっと入ってきて一番奥の大きなデスクにデカい態度で座る。下唇をめくれさせて新が演じているそれが若松孝二であると解るのには30秒くらいかかった。カッコ良すぎる! 少しずつ新-若松に慣れてきてからは自分もあの時代に戻った様に一気に入り込んでいった。

十代の頃はヤクザ、臭い飯を喰ったこともある。警官に復習する為に映画を撮っていると前田のママ (寺島しのぶ) の台詞で手短に説明する。事務所で足立らが脚本を巡って喧々諤々やっているのを見て、“お前らは理屈ばっかしなんだ!”と怒やしつける。若いインテリ組は“若松さん、映画も見てないし本も読んでない”と陰口を叩く。でも映画を見ると作るじゃ大違いなのだ。エロと反権力を掲げて若松プロはピンク映画を量産する。製作・監督から営業、金の工面まで含めて若松孝二が引っ張る。清濁併せ呑む若松のデスクの後ろには若松だけが開けられる大きな金庫がある。

この梁山泊にフーテンの様な一人の女が入って来る。あの頃の新宿には日本中から野心と不満と自分が何者か解らない若者が集まっていた。新宿に行けば何かがある、そんな街だった。多分、吉積めぐみ (門脇麦) もそんな中の一人。助監督となり男たちと一緒に突っ走ることになる。撮影現場で一番大変なのが助監督だ。スケジュール・撮影の段取り等全ての責任を負う。インしたら自分の時間なんて無い。労働基準法違反は当たり前。大手は別として大半は今でもそれに近いのでは。まして50年前、しかもピンク映画、言わずもがな。それを引っ張るのがエネルギーの塊、若松孝二。みんな若松に引っ張られて突っ走る。めぐみも男たちと一緒に突っ走る。止ってしまったらダメなのだ。

めぐみは2年間突っ走った。監督として撮らせるという話も出ていた。めぐみは妊娠していた。それがきっかけか、政治色を強める若松らに溝を感じたか。ふと止ってしまった。何を撮りたいか解らないと仲間のオバケ(タモト清嵐) に話していた。突然、めぐみは、睡眠薬で、自殺する。

 

強烈なエネルギーを持つ者の周りには必ず犠牲者が出る。着いて行けなくなった者、自分の道を探そうと袂を分かつ者、足を洗った者もいればメジャーの仕事をするようになった者もいる。めぐみが何で死んだか、映画は余計な説明はしない。見ているこちらが考えるしかない。

それでも男たちは走り続ける。若松と足立がパレスチナで撮って来た「世界戦争宣言」のフィルムを持って自主上映のバスが出発するところで映画は終わる。

 

この映画、めぐみを真ん中に据えたことで、若松孝二とその仲間たちを描くと同時に、青春映画の顔も獲得した。しかも一級品だ。みんなが夢中になって突っ走るあの熱は今でも通じるはずだ。みんな何を撮っていいのか解らないのだ。したり顔でいえば、それが青春なのだ。

あんな熱い日々を持てたことを羨ましくも思う。あんな熱い日々が僕にはあったのだろうかとブーメランが還る。

オッパイは丸出し、当時のピンク映画の映像 (模して取り直しているものもあるか?) も挿入される。こんなに裸が氾濫しながら何と清々しいことか。多分現実はもっとドロドロしていた。その現実から実に上手くエピソードを抽出して、エネルギッシュでしかも清々しい話に纏め上げた脚本 (井上淳一) が良い。いつもながら余計な説明を省いてテンポ良く繋ぐ白石監督の演出が良い。

そして門脇麦。彼女の顔はどこかメランコリックだ。それが時に役との間で違和感をつくる。これまで門脇を良いと思ったことが一度も無かった。この映画で彼女が持つメランコリックが初めて生きた。どう頑張っても明るく振舞っても孤独が漂うめぐみは、ハマった。こういう役に巡り合えた、これは役者冥利だ。

若松が海外に行っている間にめぐみや若手が金庫から金を出して飲み食いし、夜どこかのプールに忍び込んで裸になって大騒ぎする、キラキラした良いシーンだ。

 

僕はめぐみだけはフィクションかと思っていた。このブログを書く為に「女学生ゲリラ」がいつの製作か、あまり使ったことのないネット検索というのをやってみた。そこに助監督として、「吉積めぐみ」のクレジットがあった。モデルはいたんだ。なぜか胸が熱くなった。

 

映画に没入したこと、見てから大分時間がたってしまった等で、音楽の記憶が曖昧である。ただタイトルバックでEGがガツンと入ったのは、その通り! と思った。こういう映画にはEGが良く似合う。

時々聴こえる女声のハミング (門脇麦か?) というよりつぶやくような鼻歌、めぐみの孤独感がひしひしと伝わってきて効果的。よく聴くとジャズのフレーズなのだが、どこかカルメン・マキが唄った「時には母のない子のように」に似ている。「時には~」を使う手もあったかも知れない。

 

監督.白石和彌   音楽.曾我部恵一