映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2018.12.18 「青の帰り道」 新宿バルト9

2018.12.18「青の帰り道」新宿バルト9

 

東京からそう遠くない地方都市 (あとで前橋と分かる) 、そこの7人の高校生、煙草を吸い、ギターをかき鳴らして自作の歌を唄い、写真を撮り、学生生活を謳歌する。畑の中を真っ直ぐに伸びる一本の道、冒頭、校舎の屋上に立つ少女の背後からこの道を映し出すクレーンカット (今はドローンカットか) が良い。この道を “俺たちは自由だ! ” と叫んでみんなでチャリに乗って突っ走る。世間とぶつかる前の可能性しかない男4人女3人の仲良しグループ。黄金の日々。

映画はここを巣立ってからの10年間 (?) を描く青春群像劇。「セント・エルモス・ファイアー」(1985) や「白線流し」(1996 CX) 等の良くあるパターン。ではあるが、それを2008年の日本の地方都市の若者がぶつかる本当によくある話を原寸大で当てはめて、青春映画の佳作に作り上げた。

年齢環境の近い人はほとんど我が事のように ”分かる! ” 、僕の様なジジイには昔の気持ちが懐かしく蘇る。

自分の歌を唄って歌手になることを夢見るカナ (真野恵里菜)、写真は好きだが写真家になりたいというほどはっきりした気持ちもないまま、母親 (工藤夕貴) との折り合い悪く東京に出て、カナのマネージャーとなるキリ(清水くるみ)、カナと一緒に唄っていたタツオ (森永悠希) は医者の息子で医大を目指すも受験に失敗し地元で浪人生活をする。リョウ (横浜流星) はデッカイことをやるが口癖で地元の土建会社で働くが資材の横流しに手を染めて東京へ出る。コウタ (戸塚純貴) とマリコ (秋月三佳) は早々と出来ちゃった婚で家庭を持ち地道に働く。ユキオ (冨田佳輔) は東京の大学に進み、卒業して保険会社に就職する。

カナは着ぐるみを着て ”無添加カナちゃん“ として売り出し、歌手として世間から認知されはするも自分の歌は唄えない。酒に溺れてキリと離れる。キリは結婚詐欺に合う。リョウはオレオレ詐欺のかけ子で一時羽振りが良くなるも捕まることになる。タツオは自殺する。ユキオは保険会社で営業のノルマに追われる。コウタとマリコは小さな家庭を築きマイホームを目指す。

 

タツオのエピソードは辛い。親が医者でそのプレッシャーを背負い地元での浪人生活、強い奴ではなかった。高校の時は自分の思いを歌にしてそれをカナが唄ってくれた。カナへの思慕もあった。引き籠りの末、思いつめて東京へ行くことを決意する。カナへ電話する。新しい曲が出来た! カナは最期の拠り所だった。間が悪い奴って居る。カナはニンジンの着ぐるみ着せられてCM撮影の真っ最中。こっちも限界に来ていた。そこへ携帯電話だ。携帯は時間や空間や思いのプロセスをすっ飛ばして突然ど真ん中に入って来る。この暴力的カットインにカナはついキレてしまう。間が悪かった。タツオは最期のすがり処に拒否された。

キリが訪ねた時、タツオの父 (平田満) が案内してくれたタツオの部屋には高崎-東京の切符と携帯がそのまま残されていた。

 

10年経って、みんな思い描いたものとは随分違うものになっていた。でも地元に帰ったキリに母親が言う。“いいじゃない、東京で10年も頑張ったんだから” (不確か)

大好きな映画「祭りの準備」(1975) を思い出した。あの映画は “祭り” をしに東京へ向かうところで終わる。この映画は “祭り” をしにいくところから始まる。この10年はみんなの “祭り” だった。夢中になって、傷ついて、死ぬことさえ考えて、死んでしまった者もいて、辛いことばっかりで、でも楽園を出て東京などという訳の分からないところで必死にもがいた “祭り” だったのだ。

 

本当によくある話だけで纏めた脚本 (藤井道人、アベラヒデノブ) が良い。何より7人の中にエリートや上昇志向の奴がいないのが良い。対比としてそんな設定をしたくなるものだがよくそれをしなかった。

テンポ良く展開する演出、ただテンポ良すぎて、地元と東京が分からなくなるところがあった。今や前橋は東京とは日帰りが可能である。けれど若者にとって地元を離れた東京は気持ちの上では決定的に違うはずだ。

時々、東日本大震災や鳩山総理といった時事ニュースが入る。時間の経過を解らせる為か。確かに10年でも3年でもおかしくない。もう少し時間の経過と空間の距離感が解った方が良かったか。いや拘る必要はないか。

若者7人がみんな生き生きと演じている。初め少女たちは少し可愛過ぎやしないかと思ったがそこは映画、カメラは照明を駆使して少女たちを綺麗に綺麗に撮っている。

久々の工藤夕貴が良かった。

 

音楽は劇伴といえるものはほんの数カ所、PfとBで単純なフレーズを繰り返す。でもそれで充分。あとは劇中の歌や現実音としての既成曲 (どれがオリジナルでどれが既成曲か僕には判別つかず) を上手く劇伴のように使ってまかなう。上手く充てている。

カナが唄う初めの歌、歌い出しのKeyが低くて歌詞が聞き取れなかった。

 

ローリングの主題歌 “もしも僕が天才だったら~”映画の中ではタツオの声で唄われ、それがローリングでamazarashiバージョンの歌となる。しっかりしたVocalとなり、ギター1本からバンド編成となって、映画の世界がきちんと提示される。これぞ映画の主題歌、こんなに違和感なくローリングで主題歌を聞けたのは今年初めてかも。ちょっと尾崎豊を連想した。

 

真っ直ぐに伸びた一本道を10年経った6人が学校の方へ向う。学校の方から叫びながら走ってくる若者たちとすれ違う。一瞬その若者たちがかつての自分たちに重なる。入れ替わりで新たな若者たちが “祭り” をしに走っていく。良い終わり方だ。

 

“祭り” は終わった。これからどうやって現実に着地していくか。

“祭り” はどんなにつらくても悲惨でも、あとで振り返れば輝いている。

 

監督. 藤井道人       音楽. 岩本裕司     主題歌「たられば」amazarashi.