映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2018.08.24「Wind River」角川シネマ有楽町

2018.08.24「Wind River」角川シネマ有楽町

 

大分時間が経ってしまったが、良い映画だったのでメモと記憶を絞り出して記す。記憶違いあるやも。

 

アメリカは広い。舞台はワイオミング州だという。ワイオミングと言えば「ララミー牧場」だ。緑豊かな大平原のイメージである。ところがこの映画のワイオミングは極寒、マイナス30度にもなる、先住民族居留地。征服者は先住民族をそこに押し込めた。大昔ではない、今の話。未だにそんなものがあるなんて考えもしなかった。

そこには希望がない。抜け出すには、男は軍隊か大学に入ること、女は白人の男を捉まえること。大学に行ける奴なんて限られている。大半の男は軍隊に入り、イラクアフガニスタンで戦争し、沢山殺した奴が英雄となって偉大なアメリカの一員として認知される。居留地に残された者はヤク中かリストカット常習者だ。重く重く淀んでいる。

 

雪原で若い女の死体が発見される。雪の中で死ぬとはきっとこんなことなのだろう。死体はリアルだ。当然ながらレイプされていた。 

フロリダ出身という新人FBI の女ジェーン (エリザベス・オルセン) が派遣されてくる。部族長やら野生動物保護官やら、資格を立てに言い争いが始まる。FBIが一番偉い。検視をします。そんな設備10キロ先だ。応援を頼みます。来るわけがない。部族長がボソッと言う。この地を甘く見てるな。法律はアメリカの隅々まで行き渡っているが、それが守られ実行されているかどうかは別の話だ。ハンターのコリー (ジェレミー・レナー) が、レイプ現場から逃げて10キロ雪原を走り、マイナス30度の冷気を吸い込んで肺が破裂して死んだと説明する。コリーはジェーンの協力要請を引き受ける。

 

冒頭Wind River賛歌のような詩が実景に被って読まれる。多分コリーの娘の声だ。登場しない娘が冒頭と最後でこの映画を深いものにしている。

この事件の捜査の過程で謎解きのようにコリーの物語が語られて行く。

コリーには先住民の妻と16歳の娘、5歳の息子がいた。娘は大学に行くことを夢見ていた。その娘が少し前、レイプされ雪原で遺体となって発見された。犯人は挙がっていない。妻は夫と別れ、この地を出ることを決意する。コリーには発見された遺体と娘がWっていた。

集落から数キロ離れた所に土木作業?をする白人作業員のプレハブ宿舎があった。そこに7~8人の男が寝起きしていた。最下層の白人、昔で言えば流れ者、白人ということだけが唯一のすがり処の男たち。きっとトランプ支持だ。遺体の女はこの中の一人に恋をしてこの地を抜け出す夢を見た。女の匂いを嗅ぐだけで狂う男たちは二人の逢引きの場を襲い、男を殺し、女をレイプする。女は生きようと必死で雪原を10キロ走り、息絶えた。ジェーンは段々と法律が無力なこの地が解って来る。

 

こう書くと話はシンプルだが、映画は必ずしも時系列で分かり易く編集されてはいない。コリーの主観で、その都度過去や思いがカットバックで挿入される。ジェーンがプレハブをノックするところから一気に過去の同じドアのノックにカットバックして逢引きする二人とそこを襲う男たちの描写へ繋げる編集は、映画好きには上手いと受けるかも知れないが、映画慣れしてない人には多少の混乱をきたすかも知れない。

 

男たち7~8人、ジェーン、部族長。離れたところから照準を合わすコリー以外の事件の関係者が至近距離で銃を構えて対峙する決闘シーン。こんな至近距離の撃ち合い、初めて見た。みんな死ぬ。ジェーンも死ぬ。コリーとレイプの主犯だけが生き残る。コリーは男を殺さず山奥に連れて行き、死んだ女と同じ状況で放置する。10キロ歩いて国道にたどり着ければ助かる、と言い残して。

 

監督は新人、と言っても「ボーダーライン」(拙ブログ2016.5.18 )の脚本家だ。アカデミー脚本賞にノミネートされている、ただの新人ではない。「ボーダーライン」と話しの骨格は似ている。どちらも舞台は法律など及ばない辺境、そこに法律を振りかざして単身やって来る女、女を助けることになる地獄を見た男。両作品とも時々インサートされる、人間の営みを遥かに超えた大自然の実景が圧倒的だ。 

片や先住民族、片やメキシコ国境、アメリカの縁を描くことでこの国が抱える根源的な問題をあぶり出す。

音楽は確かシンセが中心だったか。メロディ感はなく、雰囲気と状況を解らせる為の音楽。それ以上記憶に残っていない。

 

監督・脚本.テイラー・シェリダン  音楽.ニック・ケイブウォーレン・エリス