映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2019.7.26 「凪待ち」日比谷シャンテ

2019.7.26 「凪待ち」日比谷シャンテ

 

白石和彌らしい映画、ほっとした。「麻雀放浪記2020」(拙ブログ2019.5.07 )ではどうなってしまったのか心配した。本来の姿に戻ってくれた。

 

主演は香取慎吾、圧巻である。

 

冒頭、印刷工場をリストラされた郁男 (香取慎吾) とワタナベ (宮崎吐夢) 、二人にとって競輪場は唯一世間から開放される場所、カメラが川崎競輪の看板を斜めに写す。車券を買って当たったり外れたりして、飲み屋でコップ酒をあおる。ここへ来るとホッとするよねとワタナベ、白髪混じりの無精ひげで優しく笑う、郁男は唯一優しくしてくれた人。ここを見ただけで白石健在を確信!

郁男は明日、同居する亜弓 (西田尚美) とその娘美波(恒松祐里)と三人で川崎から石巻に引っ越す。石巻は亜弓の故郷、そこでの郁男の仕事は充てが付いていた。印刷工としての技術はあるらしい。郁男は乗っていたロード用自転車をワタナベに使ってくれと差し出す。その自転車に乗り、慣れないハンドルにヨタヨタしながら“落ち着いたら連絡するよ”(不確か) と言って夜の闇へ消えていくワタナベ。「夜空は最高密度の青色だ」(拙ブログ2017.5.07) の田中哲司の ”死ぬまで生きるさ” の別れ際を思い出した。

 

亜弓は先に石巻に向かったようだ。郁男と美波は、引越屋が来ても、“ちょっと待ってもうじきだから”(不確か)、とゲームに興じる、二人は気が合うようだ。石巻に向かう車の中、“好きなんでしょ、何で結婚しようって言わないの?”(不確か)と美波に言われる。郁男は曖昧に答える。郁男は大して働きもせず、時々亜弓から金をくすねては競輪につぎ込んでいる。美波は引きこもりの不登校、ともに他人に迷惑をかけながら生きているという負い目を抱いている。“郁男はあたしと同じだ”

 

石巻の新しい生活。癌を患い先のない、けれど今だに漁に出る父親勝美 (吉澤健) 、何くれとなく世話を焼いてくれる近所の小野寺 (リリー・フランキー)、新しい職場は地元の印刷工場、引きこもりだった娘も定時制高校に通いだし、幼馴染 (佐久本宝) {彼は確か「怒り」(拙ブログ2016.9.21) に出ていたか} とも再会して話し相手も出来た。

小野寺に連れて行かれたバーで亜弓の元夫、美波の実の父親 (音尾琢真) と遭遇する。元夫は一癖ありそうな中学教師、DVが原因で別れた。きっと綺麗ごとだけではないこれまでがある。

競輪の予想をしていた印刷工場の若い者に誘われて、ついノミ屋に足を踏み入れてしまう。石巻でも競輪はやれた。引越に際し、ギャンブルと酒は止めることになっていた。それが少しずつ崩れていく。

 

美波はいつも郁男の父親としての言葉を待っていた。さりげなく視線を向ける。しかし郁男はいつも曖昧だ。美波の夜遊びを亜弓が頭から叱り付ける。郁男の言葉を待っている美波。他人に対し、はっきりとした言葉が言えない、自信がないのだ。曖昧かキレるか。ようやく言う、”あんまり遅くなるなよな!” 美波はその言葉を嬉しそうに聴く。

その夜、帰らない娘を心配して亜弓と郁男は車で夜の街を探し回る。煮え切らない郁男に腹を立てる亜弓、”実の子じゃないからよ” 、郁男はキレる。亜弓を車から叩き出す。ゲーセンにいた娘は直ぐに見つかった。お母さんに連絡しろ、美波携帯を掛けるが繋がらない。亜弓は高速の下で遺体となって発見された。あまりの急展開、けれど話の発端となる事件、少し唐突だが仕方ないか。

美波は自分を責める。郁男も自分のせいだと思う。まわりは実の父親が娘を引き取るのが良いと話を進める。先方も了解した。親父は美波が郁男に懐いていることを知っていた。このままここで暮らせばいい。美波もそう望んでいた。郁男もそうしたいがそれを切り出せない。郁男には美波の父親になるという自信がないのだ。

郁男は競輪にのめり込んでいく。ノミ屋が斜めに写る。ギャンブル依存が始まる。

ノミ屋から借金をし、それはどんどん膨らんでいく。警察は亜弓殺しの犯人として郁男を疑う。印刷工場でも社員がノミ屋通いをするようになり事務所から金も無くなった、郁男が来てからだと言われる。印刷工場で乱闘事件も起こす。尻拭いは小野寺がしてくれた。俺はダメな男だ。

 

郁夫の過去は全く語られない。おそらく郁男は家族というものを知らない。もしかしたら施設で育ったのかも知れない。ギャンブル依存症で直ぐ頭に血が上る。人に迷惑ばかりかけている。自分が家庭を持つなんて考えもしないし、そんなことをしてはいけないとさえ思っている。家族への憧れと恐怖心。俺はダメな男だ。けれど子供の様な純粋さがある。

こんな役を香取慎吾が見事に演じている。香取は上手い役者でもなければ器用な役者でもない。台詞は一本調子、けれどその台詞には子供の様に素直な純真さがある。郁男は口籠もるタイプ、唯一多く発するのは車の中での亜弓とのやり取りくらい、あとは時々ポツリポツリ、これは香取の特性を考えた時、上手い設定だ。その代わり肉体、顔、目で多くを語る。時々入る、少し顎のあたりが弛み、胡散臭い髭を生やしたUPには、親になる決心も出来ず、ズルズルと競輪にはまり、隠してあった亜弓のへそくりにまで手を出してしまう、善良で口下手でキレやすくギャンブル依存の男の自虐が滲み出ている。香取は演技力で郁男を演じたのではない。存在そのもので郁男になり切った。

 

胡散臭い美波の実父は今はフィリピーナ(?)の妻を持つ。市場で、その妊娠中の妻が美波や郁男が居る前で急に産気づいた。病院へ運ぶ。生まれた赤ん坊を美波が抱きかかえる。そこに父親が駆けつける。この父親がガラス越しに美波が抱える赤ん坊を見て、ポロポロと涙を流す。涙がDVの過去を洗い流してしまうようだ。カメラは父親から後に立っていた郁男にフォーカスしていく。ここは自分の居る場ではないとそっと立ち去る郁男。やっぱり実の親子なのか。このまま血の繋がる親子で纏まり、郁男はこの地を立ち去るのか。

 

親父が漁船を売って金を作ってくれた。これで綺麗にしろ! この親父、只者ではないと思っていた。この時初めて自分も前科があること、石巻で妻に出会い、亜弓が生まれ、真っ当な生活を送れるようになったと話す。その妻は3.11で流されてしまった。それを救えなかったことを親父は今も引き摺っている。

郁男は借金を清算し、残った金で一点買の大勝負をする。ノミ屋がそれを受ける。3-6、これが当たった。ちょっと出来すぎこれでハッピーエンド? ここでちょっとフェイント、中継画面に「認証」(?) と出る。まだ決定ではない、認証でひっくり返るかもしれない。競輪場のアナウンスが、ひっくり返りませんでした(不確か) 、映画館に笑いが起きた。けれどノミ屋がそんな大穴、払うわけがない。車券はノミ屋がノミ込んでしまう。

 

自分はダメな男だ。居れば周りに迷惑ばかりかけてしまう。郁男は置き手紙を残し、街を去ろうとする。駅まで行った時、待合室のTVが、ワタナベが印刷所を襲ったという事件を報じる。俺も! と思ったかヤケクソか、街に戻ると折りしも祭り、そこでヤクザに食って掛かり大立ち回りを演ずる。このカメラは圧巻。ここも小野寺が取り成してくれる。

翌朝、ノミ屋に一人乗込んだ郁男は店をグチャグチャに破壊する。そしてヤクザにボコボコにされる。

何でわざわざ殴りこみを翌朝にしたのか。駅から真っ直ぐノミ屋へ殴りこむで良かったのでは? この溜めのワンクッションには引っかかった。

 

親父がひとりヤクザの事務所に乗込む。ボコボコにされた郁男が横たわっている。麿赤兒が若い奴に孫の写真を見せている。亜弓の葬儀の時、焼香に現れた麿に曰くがない訳がない。どう絡むのか楽しみだった。ここだった。

親父 ”こいつは貰っていく”  

麿 “手をだすな、俺は昔こいつに命を助けられた借りがある” 

“なんでこいつをかばう? “

親父 “こいつは俺のせがれだ! “

一気に涙腺決壊!!!

名優の力というものは凄い。吉澤健と麿赤兒、かなり強引な纏め方にも拘わらず口挟む余地もなく納得させられてしまう。ただただ涙流れる。

 

外へ出ると郁男はガキのように大泣きする。両脇を親父と美波が支える。きっと郁男は初めて心から泣いた。甘えた。美波がしっかりとして母親のようにさえ見えた。世間に居場所が出来たのだ。家族は血ではない。山田洋次に聞かせてやりたい。

亜弓との婚姻届に郁男が署名し、船出した三人で沖合いに流す。ようやく訪れた凪である。海の実景がそれを雄弁に語る。けれど凪の海のその下に何があるかを僕は全く気がつかなかった。

 

三人を乗せた漁船、朝の雲が低く漂う三陸の海、Pfがほとんどソロ、ローリングがせり上がる。僕はいつもエンドロールは音楽を聴くこと、クレジット、特に音楽関係を確認することに集中する。婚姻届が水中を漂いそれを追っての水中撮影、と軽く見ていた。実はこの映画二度見した。二度見の時も良い音楽だなぁと気を取られ途中まで全く気がつかなかった。しばらくして、あれっ? これただの海の中じゃない、ピアノがあったり家財道具があったり、何とそれは3.11で流された物たちだった。流された人たちの生活だった。僕は何と恥ずかしいことに一度見の時は全く気がつかなかった。三人の新しい生活の下には3.11が横たわっていたのだ。

3.11は何気ない実景の中にもさりげなく触れられていた。カメラがパンするとただ造成だけがしてある広い土地があったり、遠くには不釣合いの高いビルが見えたり。こんな壁作る前は綺麗な海だったと亜弓が言ったり、川崎での美波の不登校も3.11が原因だった。郁男はヤクザから福島の放射能除染で一ヶ月働くように言われていた。内臓売るか原発か、ヤクザが食い詰めたダメ男を送り込んでいるのだ。至る所に3.11があった…

 

音楽、安川伍郎。Pf、AG、Syn、ひかえめのDr、パーカッション、後半に少人数の弦。必要最小限に付ける。小編成の時の安川はほんとうに良い。上手い。エンドロールはほとんどPfが単純素朴なメロを爪弾くようなソロ。そのなんと雄弁なことか。

音楽を詳述するにはもう一度観る必要がある。ここでは素晴らしかったとだけ。

 

亜弓殺しの犯人は小野寺だった。ちょっと唐突な気もした。印刷工場で工員が金を抜き取るのを亜弓が見てしまうという、引っ掛けもあった。僕はてっきりこの線かと思っていた。納得させてくれるエピソードが一つくらいあっても良かったかとも思う。亜弓と小野寺にも語られない多くの物語があるに違いない。

リリー・カメレオン・フランキーはここでもカメレオンぶりを遺憾なく発揮している。役者は脇役に至るまでみんな良い。ネームバリューに拘らない適材のキャスティング。ワタナベは言うに及ばず、元夫もノミ屋の発券のお兄ちゃんもゲロ吐いて逃げる工員も、男優は白石映画に出るとみんな輝く。

そんな中で負けじと西田尚美恒松祐里が頑張る。恒松、僕は知らなかった。こんな可愛い子、田舎にいたら超目立つ。いつ変な方向へ行ってしまうか気が気じゃなかった。過酷な環境に耐えて健気だった。それをしっかり演じていた。

 

香取は多くの賞を取るに違いない。白石和彌は健在だった。

 

監督. 白石和彌  音楽. 安川伍郎