映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2019.9.04「引っ越し大名」池袋グランドシネマサンシャイン

2019.9.04「引っ越し大名」池袋グランドシネマサンシャイン

 

チャンバラではない、武士の大義とかでもない、武士の生活を描く時代劇が登場したのは、いつ頃からだろうか。多分「武士の家計簿」(2010 監督.森田芳光) が始まりか。次に「武士の献立」(2013 監督.朝原雄三) がある。そこに少し毛色の違った「超高速! 参勤交代」(2014 監督.本木克英) が加わった。

この映画は「超高速! 参勤交代」に「武士の家計簿」を足して、今のサラリーマン社会を反映させた、上質なエンタメ時代劇である。

冒頭、紙芝居の様なイラストで ”国替え” の説明がある。参勤交代が大名の経済力を削ぐ為ということは中学の歴史で習った。けれど ”国替え” のことを習った記憶が僕にはない。

”国替え” が参勤交代の比ではない大事業であったことに驚く。しかもかなりの頻度、さらには石高の変更まで。幕府からの問答無用のお達し、ただ従うしかない。

イラストの後、何故かモノクロになりビチャビチャと雨降る中歩く”国替え”の行列の足元のアップ、あれ?「七人の侍」? 考え過ぎか。

 

城主松平直矩 (及川光博) は幼き頃の国替えがトラウマになっており、今宵も夢でうなされる。ハッと目覚める。駆け寄る寝屋番小姓の手を握り ”愛 (う) い奴” 、この台詞私には大受け。この台詞をこんなに自然に言える役者は及川光博を置いて他にない。及川の殿は最後には家臣思いで泣かせてくれるが、それまでは男色ネタで、ともすれば ”御公儀の理不尽への怒り” と固くなるところを、のほほんとさせてくれる。及川の存在感は大きい。

”愛 (う) い奴” の後、駆け込んで来た家臣が、国替えの沙汰が下りたと告げる。また国替え、姫路から豊後日田(大分) 、しかも15万石から7万石への減俸。それからのてんやわんやと無事成し遂げるまでの話である。

 

タツムリとあだ名される書物好きの引き籠り侍・片桐春之介 (星野源) が引っ越し奉行に任命される。みんな逃げての貧乏くじ。掛かる費用は2万両、藩にある金7千両、これを如何に工面するか。前回の国替えの記録が前任者の下に残っていた。前任者は下士ゆえに評価されぬままこの世を去り、娘・於蘭 (高畑充希) だけが残された。前任者の記録と娘の協力で何とか乗り切る訳である。

プロセスはリアル、まずは運ぶ物を減らす断捨離、捨てられるものはことごとく捨てる。書物も捨てる。言い出しっぺの書物好き晴之介は断腸の思いで書物を燃やす。燃やす前に三日三晩書庫に籠り、全てを頭の中に入れた。何やら「華氏451度」(1966 監督.フランソワ・トリュフォー)を思い出す。切り捨て御免ならぬ、「見切り御免」の書状を持って各家を周り、抵抗する上司も説得してどんどん捨てて行く。家老にはお妾 (丘みどり) も捨てさせる。お妾、唄いながら登場、その時歌詞が画面下に出てカラオケスタイルにしたのは笑えた。

次は一番経費の掛かる人足代、これを自らの手で運ぶようにする。その為に皆唄いながらトレーニングをする。”歌は皆の心を一つにする” と前任者の記録にあった。この ”お引越し!” と合唱する「引っ越し唄」、棒を立てて少し卑猥な野村萬斎の振付と相まって効果的だ。本番の引っ越し大移動もこの歌を唄いながら行われる。辛い国替えが皆の協力の下での楽しい行事の様に見えてくる。歌詞は誰が書いたのか。作曲は上野耕路とある。わらべ歌や作業の歌 (田植え唄等) の様な元唄はあるのだろうか。少し和のテイストも入ってピッタリ、映画の中で大きな役割を果している。何やらエノケンの映画の様な。荷物整理の歌も同じ歌の歌詞違いだったか?

金策は商人から借りるしかない。晴之介は頭を地べたに擦り付けて頼む。武士のプライドはあるのだろうが、無理難題を頼む時には誠心誠意を尽くす。それが商人にも通じる。

そして最大の難問、リストラである。石高は半分以下になる。藩士も減らさねばならない。リストラ言い渡しのシーンはほとんど現代と変わらない。”なぜ私が?” と問う。今も昔も明解な理由などない。上意、つまりは問答無用。抗議の手立ては腹を切ること位。隣の部屋には晴之介の親友蛮勇の鷹村 (高橋一生) が刀を構え控えている。刃傷沙汰に備えてである。武士も大変だったのだ。

ここでのシーン、帰農を言い渡されるピエール瀧飯尾和樹 (ずん) がイイ味を出している。山間の荒れ地、そこを開墾せよと言い渡す。加増になった暁には必ず迎えに参ります。絵に描いた餅、それを真剣に晴之介は説く。その夜晴之介は於蘭のもとを訪ね、腕の中でオイオイと泣いた。於蘭はそれを母の様に受け止めた。カタツムリがどんどん立派な武士になっていく。リーダーになっていく。その顔付きの変化を星野がきちんと演じる。

無事豊後日田へ引っ越した姫路松平藩はその後4~5年毎に国替えをさせられた。奥州白川への国替えでようやく加増が実現する。晴之介が約束を果たすべく山間の地へ迎えに訪れると、荒れ地は見事な段々畑になっていた。このドローンカットは感動的だ。ピエール瀧と飯尾は復職せず農民となる道を選ぶ。二人とも百姓の良い顔になっていた。

 

石碑には十数年の間に亡くなった者と帰農した者の名が刻まれていた。松平直矩が家臣の前で、”これで皆揃った” と涙を流す。男色ミッチーは最後に家臣思いの良き殿として話を締める。不覚にも込み上げるものが…

 

何よりもキャスティングが脇役に至るまで適材適所、非の打ちどころがない。星野は言うに及ばず、豪快高橋一生は新境地開拓である。

前任者の娘で出戻り子供ありの於蘭は、今は藩との関係は無くなっているにも拘らず、程好く女の魅力も発散して引っ越しチームの要。設定にいささか無理があるも高畑の女優力でそれを感じさせない。しっかり者の大人の女がチェリーボーイを立派な男に成長させるという話でもあり、そっちは高畑がしっかりと支えている。

リストラされる小澤征悦、ピエール、飯尾、家老の松重豊、甲高い声を出す家老の正名僕蔵、勘定方の濱田岳、すっかりお母さんになってしまった富田靖子、唯一の悪役西村まさ彦、頭にちょこっとしか出ない男色柳沢吉保 (向井理)、そして幕府隠密 (名前分らず)、これ程行き届いたキャスティングは中々無い。

 

音楽、上野耕路、犬童監督とはコンビである。冒頭国替えの説明や日田へ出発する所、最後の再会等、厳かなところに、ホルン、木管、笛、大きくはない弦、そしてプリペアドPfの様なコトコトした音を入れて格調高い音楽を付ける。要所要所に付けるこの音楽が映画の品格を作る。マリンバPercチェンバロがコミカルなシーンに付けられる。チェンバロはソロでも上野らしい転調のある不思議なメロを弾いてアクセントを作る。AG (もしかして琴?) も活躍する。タッチの様にEGも入る。解り易い付け方、映画をより解るように説明的に付ける。エンタメ映画、基本的にはそれで良い。ただ僕は付け過ぎだと思った。特に前半、コミカルな所にそれを補強すべくコミカルな音楽を重ねる。一度付けると同じ様なコミカルなシーン全部に付けることになる。同じ様なシーンであっちに付けてこっちに付けないのはおかしい。結果短い音楽を引っ切り無しに付けることになる。僕はその悪い例の様な気がした。

編集が早いテンポで展開するので、解り易いように音楽を付けたのかも知れない。けれど音楽をつけなくても充分に解る。音楽をもっと減らしたら、もっとスッキリしたのでは。そこだけが気になった。

ユニコーンの主題歌は違和感無く聴けた。

 

監督. 犬童一心  音楽. 上野耕路  主題歌. ユニコーン