映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2019.9.02「火口のふたり」新宿武蔵野館

2019.9.02「火口のふたり」新宿武蔵野館

 

火口とは女陰のことである。そこには生命の神秘がある。そこから命が生まれる。死が隠れている。そして宇宙に繋がっている。日常の中にパックリと開いた非日常、宇宙への入口。けれどそのことに普段は気が付かない。“とっても気持ちイイ” 穴でしかない。

 

歳を取りフィジカルがダメになる頃、SEXに “とっても気持ちイイ” 以上の意味を感じる様になる。これは歳を取ることの功だ。この映画の二人がそれを感じていたかどうかは解らない。けれどかつて火口の淵に佇んだことは確かだ。死のうとした。それくらいギリギリの恋をしたのだ。

 

今、賢治(柄本佑)は離婚し子供とも別れ時々アルバイトで生活する、殆ど世間と縁を切ったようなプーの生活。社会で何某かに成ろうという気も無く昼間から多摩川で釣り糸を垂れている。

かつて直子(瀧口公美)は賢治を追って東京に出て来たが、捨てられ国へ帰り、今度結婚するという。二人は兄妹のような、いとこ同士だった。

式に参列する為に帰った賢治と直子の再会はさっぱりしたもの、かつてのドロドロを全く感じさせない。一つの時期を過ぎた、そんな年齢だからか。

けれど直子は今夜だけ昔に戻ろうと賢治を誘う。直子はかつての二人の交歓の写真を大事に持っていた。若き日の心と体が一体になっていた頃の激しい恋愛の写真だった。飄々としていた賢治に火が付く。今夜だけが、婚約者が出張から帰るまでの5日間となった。

 

出演者はほとんど二人だけ。ほぼSEXと食事のシーン。SEX描写は激しい。ギリギリまで映す。それがこの上なく美しい。“かつて” が甦る。心と体が一致していた頃が甦る。

二人の心にはいとこ同士という禁忌があった。心が体にストップをかけ結ばれなかった。でもいとこ同士なんてざらにある。兄妹だって親子だって。亡くなった賢治の母親が、本当は賢治と直子が一緒になってくれたら、と言ってたと、直子が言う。おふくろ、それを早く言ってくれてたら…

 

直子の結婚相手は自衛隊員、鉄板の様な胸板を持ち、「坂の上の雲」に涙する。しっかりとした社会の一員である。直子は少し前に子宮筋腫が見つかって子供を作るなら早い方が良いと言われている。それで結婚するのか、と賢治は非難気味に言う。でも言い方は軽い。

秋田は同じ東北でも震災の被害は免れた、その後ろめたさがある、と直子。しょせん当事者にはなれないと賢治。そんな会話がさりげなくSEXの合間に溶かし込まれる。

 

4日目、二人は一泊の小旅行に出る。西馬内亡者踊り(にしもないぼうじゃおどり、三大盆踊りの一つ。全く知らなかった)を見る。深い頭巾を被り、死者と一緒に踊る盆踊りとのこと。このシーンの尻のストップモーション、何故?  ちょっと気になった。 翌朝、置手紙があり、直子は居なかった。

ここで終わるのかと思った。ところがどっこい、賢治の父親(声だけ・柄本明)から電話で、直子の結婚式が延期になったと言う。バレタか!と直子のところへすっ飛んでいくと、何と自衛隊員、極秘任務でいつ戻れるか分らないと言って隊に戻ったとのこと。その極秘任務とは、数日以内に富士山が大爆発を起こすというもの。この荒唐無稽、それがすんなり入るか。僕にはすんなりだった。もう結婚は無しである。

風力発電の巨大なプロペラが幾つも並ぶ海岸で、間もなく来るらしい大災害を前にして、とりあえずは,“体の言い分”に従って生きて行こうと二人は話す。広い画の象徴的な良いシーンだ。

次のカットは小馬鹿にした様に、子供が描いたような富士山の噴火の画(蜷川みほ)、そこにエンドロールが上がってきて、“とっても気持ちイイ”という歌が入る。

 

さんざッぱらエロの極致を見せられて突然幼児に退行したような富士山の噴火の画、この落とし方に僕は良い良いと思った。これが映画だ。でも馬鹿にしてると思う人もいるかも知れない。富士山の火口はかつて二人が彷徨ったところである。直子の部屋にはその大きな写真が壁に貼られていた。その生も死も呑み込んでしまう大きな穴が今噴火しようとしている。噴火すればみんなチャラ、社会の中で築き上げた諸々は御破算だ。今言えるのは社会への忖度よりも体の言い分に正直になることだ。

火口は女陰に繋がっている。女陰には社会を壊す破壊力がある。

どうだ! 収まってなるか! という荒井晴彦の声が聴こえる。

 

以上はそれらしき理屈。僕は何より、どうしても賢治を忘れられない直子のしたたかで純な恋の復活劇を感じた。「賢ちゃん、平気で嘘ついてあたしを抱いた」「賢ちゃん、あたしを捨てたんだよ」そう言って、鈍感な賢ちゃんから見えないように横向いて涙ぐむ。賢ちゃんの言うことなら何でも聞く、バスの中でのSEXも、路地の隙間でのSEXも。

二人で美術館を訪れ渡り廊下の様な所を歩くシーン、賢ちゃんの歩幅に追い付けず出来た間隔を小走りで追いつく直子、それを引いた画で何気なく捉える。何と可愛く健気なことか。直子の一途さが最も良く出ているシーンである。荒井晴彦はこんなデリケートを演出出来たのだ。直子・瀧口公美の魅力と力で、エロティックで一途な純愛という芯がしっかりと通った。

 

音楽は下田逸郎、歌物が3曲。「早く抱いて」「この世の夢」「紅い花咲いた」、知る人ぞ知る下田逸郎の名曲。おそらく在り物音源、この映画の為の録音ではない。女性ボーカル、下村陽子という人か。エロティックな歌詞と可愛い声が不思議な世界を作り出す。歌が語り部の役割を担う。ピッタリの選曲である。途中「この世の夢」(?)のメロをVlソロで演奏して何ヶ所かに劇伴として当てている。必要最小限の音楽がしっかりと世界を作っていて隙がない。エンドロールには「紅い花咲いた」、“とっても気持ちイイ” という繰り返しが観終わった後も頭の中を巡った。この歌だからあの画でも可笑しくなかった。

 

完璧な世界が出来ていた。二人だけの出演者、かつての交情のスチール (野村佐紀子)、富士山火口のスチール、富士山噴火の画、ほとんどアカペラに近いシンプル素朴な女性ボーカルの歌、敢えてこじんまりとさせ、削ぎ落とし、洗練された世界を作ることに成功している。

映像は、スーパーの買い物、盆踊り、風力発電の海岸、美術館等、広いロングの画を時々入れて変化を付けている。その塩梅は絶妙だ。こじんまりと纏めた世界の背後には震災だったり社会だったり世間だったり宇宙だったりが立ち昇る。そしてどこに“死”が横たわっている。

 

蛇足

もっともこじんまりと纏め上げることに貢献している歌を、例えば武満徹的な音楽でやってみたらどうなったか。全く別ものになるが、合わなくはないのでは。二人は火口を通り越して “宇宙のふたり” になる… 荒井晴彦が絶対そっちへは持って行かないということは解っているが。

そんな勝手な想像が出来る、見応えのある作品。

今年の主演女優賞今のところ、瀧口公美。

 

監督. 荒井晴彦  音楽. 下田逸郎