映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2021. 1. 26「21世紀の映画アンケート」

2021. 1. 26 「21世紀の映画アンケート」

 

年々文章を書くのが億劫になっている。このブログも最初の頃の勢いはない。映画は見たがブログ化していないものもたくさんある。今回は、「21世紀の映画アンケート」で邦洋問わず5~10本を選び簡単なコメントを付けて、という依頼があり書いた文章。取り敢えずの繋ぎとして。

 

成りたい自分に成りたい、夢の実現、そうだ、映画監督になろう。

キツツキと雨(2012 沖田修一) は駆け出し監督 (小栗旬) が、何でも良いから早く終わらせたいスタッフと言うことを聞かない役者との間で悪戦苦闘する話。プロデューサーが言う。“早く(カメラを) 回せ!”“でも天気が?”“いいから回せ!”雲間から日が射した時には涙が出た。ただ晴れただけで泣けた。「泣けます!」と宣伝する映画とは真逆の涙。偶然が微笑んで、成りたい自分の輪郭がうっすらと見えた。

かつてシナリオコンクールで佳作入選してしまった女 (麻生久美子) が30半ばを迎えようとしている。未だ書かれざる傑作を吹聴する若い男がいる。「ばしゃ馬さんとビッグマウス(2013 吉田恵補)、女はシナリオ作家を諦めて故郷へ帰り家業の旅館を継ぐ。“成りたい自分”なんて結果でしかない。思いと外圧のせめぎ合いの結果、気が付くと“何者か”になっている。当初と違っててもそれで良い。

僕が高校生だった60年代、4年制大学へ行く女子は僅かだった。息子は大学その姉や妹は就職するかせいぜい短大。日本も韓国も大した変わりはない。男兄弟の大学進学の犠牲になった母、学歴のない父、ウニはその娘。学校では“ソウル大学に合格するぞ”とみんなで拳を上げる。そんな中で自我に目覚め性に目覚め、男女不平等に目覚める。「はちどり」(2020キム・ボラ) はそんな少女を等身大で描く。

82年生まれ、キム・ジヨン(2020キム・ドヨン) はほとんどその後の「はちどり」だ。一流大学を出て、理解あるエリートサラリーマンと結婚し一児をもうけ、仕事は止めたが戻りたい。“男優位社会”、日本では映画のテーマにもならなくなった“嫁姑”“家”が立ちふさがる。追い詰められたキムに憑依現象が起こる。男は彼の国でもこちらでも生まれながらに既得権者である。理解ある夫は既得権者の余裕の上で良き理解者なのだ。さて僕は、当時もしあったら、育児休暇を申し出ただろうか。

成りたい自分なんてとうに忘れた。今はバンコクでポン引きまがい、でもイイ悪いの判断はまだ付く。国の力、金の力を傘に着て女を騙しちゃいけない。バンコクナイツ」(2017 冨田克也) はアジアの吹き溜まりで飄々と“自分”であり続ける日本の男(主演.監督自ら) を描く。’60,’70年代のプロテストするアメリカンフォーク&ロックが形を変えてタイのポピュラーソングの中に生きている。

置かれた境遇から女 (木竜麻生) は強くなりたいと女相撲の力士となる。男 (東出昌大) は志は持つもいい加減なテロリスト。菊とギロチン(2018瀬々敬久)、時は関東大震災直後、一瞬の祝祭空間を作り出した後、あっけなく弾圧され消えていく。浜辺で踊り狂うシーンは忘れられない。この二本、独立プロの範疇を超えて大作。

成りたい自分なんてヤワなことは言ってられない。「灼熱の魂」(2012ドゥ二・ビルヌーブ)は“どんなことがあっても生き延びる”だ。中東らしきどこかの国、部族宗教対立の中、拉致された子供は洗脳され鍛えられ立派な性的拷問のスペシャリストとして母の前に現れる。母は妊娠する。時が経ち、その時生まれた息子に母が残した遺言は“父を捜せ、兄を捜せ”リアルだが神話の匂いを漂わす。そうでもしなきゃやりきれない。

この監督の「ボーダーライン」(2016) 、アメリカとメキシコの国境、麻薬組織と不法移民、それを取り締まる特命捜査官、文明国の常識は吹っ飛ぶ。集められた不法移民の彼方に真っ赤な夕陽があった。

次にこの監督が撮ったのが「メッセージ」(2017)、バカ受け (お煎餅) 型の宇宙船で飛来した宇宙人と女性言語学者がコンタクトする。人間の時間は直線、宇宙人の時間は平面、すべてが同時に存在する。これを納得するにはちょっと飛躍がいる。コミュニケーションが成立し宇宙人は消えていく。平面時間を理解した女は、その娘が幼くして死ぬことを解った上で子供を産む。例え短くても人間として生きたこと、出会えたことは奇跡だ。頭では解るのだが、慟哭しき無い。

 

人間の時間はたかだか70~80年、その中でもがき苦しむ。競争が好きな人間は人間社会の中で必死に“何者か”になろうとする。それがエネルギーを生み出すことを否定はしない。

しかし人間の時間の外側にはそれを包み込んで気の遠くなる様な宇宙の時間がある。人間の時間を描きながら、いつも背後に宇宙の時間を感じさせてくれる様な映画。