映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2015.8.17「人生スイッチ」ヒューマントラスト有楽町

2015.8.17「人生スイッチ」ヒューマントラスト有楽町

 

これも昨年夏観たもののブログ開始時に文を纏めておらず、今日のアップとなった。

オムニバス映画は大体中途半端になってつまんない。これは違った。初めて絶賛のオムニバス映画である。

エピソード1.タイトル前、飛行機の中、隣り合った客同士何気なく話した会話に共通の名前が出てくる。少し離れた席からその名を聞きつけて、私も私もと名乗り出てくる。乗客全員、その名の男と接点を持っていた。接点は“恨み”、子供の頃から今に至る人生の中でその男は乗客全員に何等かの“恨み”を持っていた。そして今飛行機の操縦桿を握っているのがその男。飛行機は庭でくつろぐ老夫婦に向かって突っ込む。老夫婦はその男の両親(多分?)。庭からのローアングルで突っ込んでくる飛行機を見上げる秀逸なカット。突っ込んでブラックアウトでメインタイトル、凄いアバン。

エピソード2.郊外のレストラン、入って来た中年男、対応するウェイトレス、良く見りゃ昔故郷で酷い目にあわされた奴。厨房のギョロ目の婆さんがネズミ捕りを入れちまえとけしかける。ネズミ捕り入りポテトフライ。そこに中年男の息子、息子が食べるか親父が食べるかハラハラドキドキ、息子が食べるのを阻止するべくテーブルをひっくり返したウェイトレスと親父の揉み合い。そこに肉切り包丁を持って婆さんが突進、親父の背中をグサリ、パトカーの婆さんを見送るウェイトレスと息子。この婆さんのイッちゃっている目玉の凄さ。

エピソード3.田舎道を新車でトラックを追い越しざまについ悪タレをついた。エンストの新車に追いついたトラック運転手が突進。ボンネットに乗っかって糞はたれるわ小便はするわ。遂に追いつ追われつ殴り殴られの全面戦争、二人掴み合った状態で車は爆発炎上。駆けつけた警官が抱き合うように黒焦げた死体を見て、痴情のもつれですかね?

エピソード4.ビル解体爆破の専門家、娘の誕生ケーキを買おうとケーキ屋の前に車を止めた。駐車して良いはず。しかしレッカーで持っていかれた。交通局に抗議して暴れて新聞記事になり、解雇、離婚。すべてが悪い方へ。無職の孤独な復讐鬼と化し、車に火薬を仕掛けレッカー屋をはめて爆発!ところが交通局とレッカー屋の癒着が問題になっていて世間が男を“良くやった!”と英雄扱いした。刑務所に入るも誕生ケーキを別れた妻と娘が持ってきた。すべてが勝手に良い方へ。

エピソード5.妊婦を轢き殺してしまったバカ息子を金持ちの親が身代わりを立てて救おうとする。身代わりとなる使用人、間に入った弁護士、この二人が足元を見て金を釣り上げていく。ついに父親がキレた時、被害者の夫が身代わりの使用人を刺す。不条理なオチ。

エピソード6.豪華な結婚式、そこに夫の浮気相手の女が客として来ていた。それに気づいた新婦が荒れ狂う。屋上で一服していた優しい中年のコックさんとヤッてしまうわ、浮気相手の女と大立ち回りはするわ、新郎のマザコンを暴露するわ、最後は瓦礫と化した会場のテーブルの上で、ウェディングケーキを頬張りながら、寄りを戻してFUCKする。言語を絶するハチャメチャ。

皆さんキレましょう。結果はどうなるか解りませんが、溜め込むよりキレたい時はキレましょう!そういう映画である。

世間体や社会性を考えてキレることを抑え込む。確かに素直にキレてたら平穏な社会は維持出来ない。従ってこの映画は反社会的である。でも映画位、反社会的でも良いではないか。映画なんだから。

キレるとは日常の裂け目、そこからの原始エネルギーの噴出、暴力だったり性欲だったり、喜びだったり怒りだったり。それは生命力とイコールであり、それを表現に昇華させると芸術になる。芸術は爆発だ!縄文エネルギーである。

人間の生活の社会性が増せば増す程キレることは抑制せざるを得ない。抑制能力が社会的人間を誕生させた訳だ。動物としての原始エネルギーは抑え込まれてストレスとなる。そのストレスが生み出す犯罪の気持ち悪いこと。それと比べた時、この映画のキレて犯した犯罪の何と爽快なことか。映画は可哀想な現代人に代わって壮大にキレまくる。映画による代償行為、映画による無礼講の“祭り”。

ところがそのキレ方が我々日本人と違う。肉食系ラテン系、パワーが桁違い。みんな体がデカくて肉厚で声もデカくて押しも強い。良く喰ってセックスも小技など使わず真正面からズド~ン、男も女もパワフル、凄い!

数日前にDVDで観た「地獄でなぜ悪い」、こんなに小気味よくキレまくった映画、久々と思ったら、園子温よ、いくら血糊を膨大に使おうとこの映画には適わない。これ多分ラテンと日本の差、血と油の滴る肉喰う連中と体に良い和食を喰う我々との差。

音楽はベースの低音効かせてキャバレー風歌謡曲風、俗悪でいて洗練。4リズムにSyn。絵に細かく合わせるのではない、曲として宛てている。メロも明解。久々にハリウッドスタイルではない映画音楽の良さを堪能する。

既成曲の扱いも上手い。エピソード3のカーラジオの音楽、エピソード6の会場のBGMとバンド演奏。BGMに『禁じられた遊び』が流れていた。あれは何か意味あるのかなぁ。

脚本が良い、演出が良い、役者が良い、撮影が良い。良い映画はみんな良い。

どのエピソードにも必ず真俯瞰のカットがある。神様は面白がって見てますよ、とでも言いたげに。

プロデューサーが「オール・アバウト・マイ・マザー」や「トーク・トゥー・ハー」の監督のペドロ・アルモドバルなんだ。音楽はグスターボ・サンタオラヤ、A・G・イニャリトゥの「バベル」や「アモーレス・ペロス」をやった人。成程、凄い訳だ。

かって森田芳光・脚本プロデュースで「バカヤロー」というオムニバスがあった。バカヤローは社会生活の中でのキレ以上のものではない。根源的ではないから軽い。この映画のキレるは命懸けである。

脚本監督.ダミアン・ジフロン  音楽.グスターボ・サンタオラヤ