映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2022. 11. 28「我が青春の大森一樹」

2022.11.28「我が青春の大森一樹

 

大森一樹逝く。2022. 11. 12  70歳

 

大森さんとの最初の仕事は「恋する女たち」(1986) だった。

その頃、僕は映画の音楽プロデューサー(東宝撮影所ではそういう役職名は無く、音楽事務と言われていた) とは何をすればよいのか分からなくなっていた。20代の頃、東宝レコード(今は無い) で邦画のサントラはたくさん作っていた。けれどそれはレコード盤の制作という以上のものではなかった。

30歳で撮影所に移動となり、そこで初めて映画の音楽の制作現場に係ることになる。監督は巨匠、音楽家も高名な方々、みんな上の上の世代、何より僕は、音楽をどこに付けるか、そこに着ける意味は、その効果は、それが全く解っていなかった。それまでの僕は映画音楽をただ音楽として聴いていただけだった。

監督と音楽家の間で全て決まる。僕はそれを予算とスケジュールの中に押し込み、時にレコード会社にサントラとして売り込む。内容には全くタッチしない出来ない、そんな段取り屋だった。けれどそこで有り難いことに映画音楽の何たるかを僕なりに学ぶことは出来た。

恋する女たち」は斉藤由貴がブレイクしての急な企画だった。監督は大森一樹、 ’エッ?’ 「オレンジロード急行」 (1978) や「ヒポクラテスたち」(1980) の人、同世代だ。「オレンジ~」も「ヒポクラ~」も吉川晃司三部作も見ていた。ああいう同世代の映画はいいなぁと羨ましく思っていた。何せ、偉大過ぎる、黒澤明市川崑である。

楽家斉藤由貴のレコード会社の関係で、かしぶち哲郎、これは決まっていた。ムーンライダーズのドラマーであることは知っていたがそれ以上のことは知らない。

撮影はほとんどが金沢ロケ、かしぶちさんとマネージャーと私とで金沢まで赴いた。夜の10時近く、撮影でヘトヘトになっている大森さんの時間がようやく取れた。旅館 (ホテルなんかではない) の玄関脇の4人掛けのテーブル、そこで最初の音楽打ち合わせ。僕は大森かしぶちとは個別に会っていたが、二人はそこが初対面、僕だって音楽打ち合わせを仕切るのは初めてである。これまでは監督と音楽家はすでに何回かやっておりコミュニケーションは取れているというケースばかり。

二人は初対面、挨拶したのち、監督、どんな音楽にしましょう? かしぶちさんのイメージは?  僕は紋切り型のボールを投げる、投げながら、どうしようと不安がつのる。気まずい沈黙、何か話さねば、言葉を発せねば。大森さんは饒舌、かしぶちはどちらかというと口は重い。饒舌の大森さんも沈黙。そりゃそうだ、撮影中の映画の音楽を言葉で語るなんて監督にも音楽家にも出来る訳がない。その間にもスタッフが明日の撮影について聞きに来る。落ち着けない。気まずい沈黙、どうしよう?  大森のベスト1は「冒険者たち」これは知っていた。かしぶちがフランス映画を好きなことも知っていた。苦し紛れにジョアンナ・シムカス (「冒険者たち」のヒロイン・レティシア役) の「若草の萌える頃」(1969) は見ました?  大森さんが大きな声で ’それや、それ! ’ あの声を今でも忘れない。「若草~」が糸口となって二人は僕を置いてきぼりにしてフランス映画の話を始めた、その音楽のことも。かしぶちはジョルジュ・ドルリュー が好きだった。実は、僕はその時「若草~」を見ていなかった。でも映画音楽のプロデューサーは監督と音楽家の間の共通言語を見つけることであるということが一つ解った。それが見つかればあとは自動的に動いていく。僕、かしぶち、大森の順に一つ違い、同じような映画を見て同じような音楽を聴いていた。ウマも合った。あとは早かった。

「恋する~」のあと「トットチャンネル」(1987)「さよならの女たち」(1987) と立て続けに3本やった。同世代でやることがこんなに楽しいものかと思った。「さよなら~」では何でもない列車のシーンで、大森さんが ‘ここ歌にせーへん? ‘ と言い出した。由貴ちゃんは他で歌ってるからここは誰か別の人、かしぶちさん唄いなよ、どうせならフランス語で、ということで、かしぶちにフランス語で唄わせたりした。3人で思ったようにやれた (やっちゃった)。製作委員会なんてない頃だった。楽しかった。

大森さんとはその後「ゴジラ」を2本やった。これも楽しかった。こちらの話もすると切りがない。大森さんは映画を作るのが、楽しくて楽しくてしょうがない人だった。

 

2010年「世界のどこにでもある、場所」で大森かしぶちと再会した。三人一緒の仕事は20年ぶりだった。斉藤由貴三部作の時は音楽をいじり回した大森さんだったが、この時は絵合わせの当て書き、大森さんは一つもいじることなく、かしぶちの音楽をそのまま映画に充てた。

2013年12月、夜中に大森さんから電話、かしぶちさんが亡くなったってラジオ(ネット?) で言ってるで。12月17日かしぶち哲郎逝く。63歳

2015年「ベトナムの風に吹かれて」、’全部かしぶちさんの有りもの音源 ( 大森作品の為にかしぶちが書き下ろした音源 ) で行こうと思うんや、権利処理して!  メインタイトルは 『サバ ヴィアン』や’

「さよなら~」でかしぶちが唄ったフランス語の歌には「もう一つの明日―Un deman de plus」というタイトルがある。けれど歌詞中に’ サ~バヴィアン ’ と印象的なフレーズがあり、いつのまにか 僕らのあいだでは『サバ ヴィアン』になっていた。

メインタイトルに『サバ ヴィアン』が流れ、かしぶちへの献辞タイトルが一枚入った。

 

30半ばで青春というのもヘンですが、大森さん、あなたは紛れもなく、僕の仕事上の’青春’でした。 あなたとの出会いで僕は初めて映画音楽のプロデューサーが面白いと思った。’青春’ なんて恥ずかし気もなく言えるのは歳を取ったからでしょうか。下の二人が先に逝ってしまい、残された者の哀しみです。

 

                                                                                                           2022. 11. 28

PS.  好きな台詞

「お前たちは何かっていうと直ぐに海に行きたがる」(不確か、原田芳雄「オレンジロー ド~」)

スピルバーグ君! 」(「ゴジラvsキングギドラ」)