映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2011.6.24「あぜ道のダンディ」 テアトル新宿 

2011.6.24「あぜ道のダンディ」 テアトル新宿  

 

光石研、田口トモロウ、名脇役二人の主演、前に進むも後ろへ引くもままならない50歳おっさんコンビの、無理して突っ張リズムの話。

光石は愛する妻に先立たれ、娘息子が大学受験。田口は長く父親を介護して、その間に妻には逃げられ子供なし。共に中卒、金はないが地方ではそれなりの生活は出来ているよう。

冒頭飲み屋で、田口、介護していたオヤジさんが亡くなった直後で、葬式の礼やら言った後、これからはお前と飲む回数も増えるからな! と言う。そんなの分かっているよ! と光石。これに尽きる。この竹馬の友は決して鬱になることも孤独死することもないだろう。これまで頑張った自分にご褒美としてソフト帽をプレゼントしたという田口、おっさんのダンディズムの象徴。

独特な台詞の繰り返しと間合いが笑いを創り出す。泣かせるようで外す。ベタは恥ずかしいのか、石井裕也、まだ20代の監督。大したものである。

光石は妻亡き後、一人で子供を育て可愛くて心配でしょうがない。大学は受かったのか、私立か、東京に行くのか。言葉には出さないが、子供だって親のことをちゃんと心配している。田口が間に入って気を使う。

子供に対してはカッコいいオヤジでいたい。このツッパリや良し。これがある内は男は生きられる。それが屁のツッパリでも見え見えでも。見え見えだからこそ子供はそこから学び取る。

夢の中で妻も含めた家族全員で「ウサギのダンス」を踊る。そそらそらそらウサギのダンス~、懐かしい! 良き家庭だったのだ。家族の共通の思い出(物語)を持つことは散じて後も心に帰るところがある。

子供二人が東京に出発する日、トラックに荷物を積んで父親が運転をしていく。見送りの田口からソフト帽を借りて被る。田口が、“気を付けろ!”と言うと、トラック運転手が正業の父は、“オレはプロだぞ!” 次のカットで路肩に乗り上げたトラック。“突然猫が出てきたんじゃ仕方ないな”この外し方、上手い。一番の泣き所をさらりと外した。

音楽は、Aギター、Eベース、ドラムス、パーカッション、多分そんな編成でシンプルである。雰囲気作りが必要なところにさりげなく入る。特に大きな役割を負う付け方ではない。前半では、ギターアルペジオにベースが低くメロを取っている。この音楽、作曲家が作曲したというより、おそらく監督がコントロールしたものと思う。セッションの場で、楽器に色々注文を付け、加えたり引いたり(主に引き算?)したに違いない。だから上手く合っている。上手く溶け込んでいる。この監督の独特の世界にはこれは仕方ないかもしれない。でも例えば、シンプルなメロが一つあれば、「ジェルソミーナ」ちょっとエモーショナル? 「咲いた咲いたチューリップの花が」のあのドレミドレミのメロみたいなやつが一つ通っていればなどと考えた。

リスキーだが作曲家に委ねることをすると思ってもみない深さが出ることがある。かつては監督と作曲家の間はそういう関係だった。とんでもないことになったり、監督の意図を超えて素晴らしい映画になったりした。今は音楽機材・録音機材の進歩で音楽の製作段階で監督が口を出せる。だからとんでもないことにはならない。しかし思いもしなかった拡がりや深さが音楽によって付け足されるということも無い。どっちが良いとも言えない。

外しまくったくせに最後に飲み屋で二人は嗚咽する。ここは真っ向。こちらも鼻水すすって泣いた。ここはこれで良かった。

ただその後ローリングの清竜人のホモサピエンスがどうたらという歌、ちょっと頭で考えすぎでは。だったら「ウサギのダンス」のおっさん合唱の方が良かった。それに家族も加わって…

この監督、寅さんを撮れるのでは。

監督 石井裕也  音楽 今村左悶、野村知秋 

主題歌 清竜人ホモ・サピエンスはうたを歌う」