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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2011.6.30「デンデラ」 丸の内TOEI  

2011.6.30「デンデラ」 丸の内TOEI  

 

楢山節考」のその後、捨てられた老婆たちは、どっこい生きていた、という話。浅丘ルリ子を始め迫力ある女優たちが雪山を凄い形相で歩く予告編に、さぞ力強く、明るく、バイタルで、荒唐無稽の話を期待した。脚本監督は、今村昌平の息子、天願大介

残念ながら期待は裏切られた。

確かにムラの掟に従順な生き方しか知らなかった浅丘が自分の意思で生きるようになるまでの婆さんの自立の話ではある。デンデラを作り上げた100歳のリーダー草笛光子(大変な迫力で台詞の口跡は見事)は捨てられた婆さんたちのある意味理想郷的相互扶助の共同体を作り、ムラに仕返しを企む。しかしその前に立ちはだかる大自然の驚異、熊、雪崩… いつのまにか映画は熊との戦いの動物物に変わっていく。描き方はリアル、しかしそのリアルはどこか中途半端。衣装は汚いが役者の顔はふくよか。雪山のロケはリアルだが、セットになると急に作り物感が漂う。熊との戦いもやたら血糊は飛ぶが熊の顔のドアップばかりで引き絵がない。熊のミドルサイズは難しかっただろうことは推測がつくが。

台詞での説明が多すぎる。ムラに対する好戦派穏健派の描き方も浅い。なぜデンデラなのかを説明するにはムラを描かねばならない。それは「楢山節考」がすでにやっている。それをいちいち台詞でおさらいしている。そんなものほっぽっといてもっと荒唐無稽をやれば良かったのに。リアルにも荒唐無稽にも寄り切れず中途半端なのだ。

音楽・めいなCo。前半や導入の打ち込みもの、タブラガムラン風のパーカッションを交えたそれは雰囲気作りに役立つ。熊とのアクションはリズムもので御決まり。中盤、ムラへ向かうあたりから音楽はスペクタクル感と高揚を担わなければならない。ところがめいなCoである。オーケストレーションに難あり。Cb、Cell、などを加えたサウンドだが、それらの弦楽器はどれもほとんどがユニゾン。ユニゾンで効果を出すには大編成にするしかない。それを少人数のしょぼいユニゾンじゃ迫力は出ない。なんでちゃんとオーケストレーションの出来る作曲家にしなかったのか。重厚感もなくスカスカ感だけが増幅された音楽。編曲を誰かに頼んだって良かったのに。

映画もどういうテイストでやるかが定まらず、音楽もどういう音楽で行くかを定めないまま、的確な作曲家を選択しそこなった残念な例。

能力云々ではなく、作曲家の語法として企画に合う人合わない人がいるのである。

監督 天願大介  音楽 めいなCo