映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2012.8.20「桐島、部活やめるってよ!」丸の内ルーブル 

2012.8.20「桐島、部活やめるってよ!」丸の内ルーブル 

 

こういう話だったのだ。桐島はついに出てこない。

みんなのスーパーマン、桐島が部活をやめる、というあまりにどうでもよいことをきっかけに高校生の様々な問題が露呈する。でもそれはけっして高校生にとってはどうでもよいことではない。それを青春の普遍性にまで高めている。

高校生の群像劇、しかも同じ時間を、中心に置く人物を変えて何回も繰り返す。「羅生門」方式。原作がそうだったのか。シナリオだとしたら非常に上手い。

見ながら一所懸命、高校生の頃を思い出していた。今は男女の交際、はるかに進んでいる。それに今の奴ら、みんな小奇麗でカッコ良い。

高校生。他社を通じて自分を自覚する。肉体的精神的知的な能力を他人との、つまり学校の友達との比較で自覚する。カッコいい奴は明らかにカッコいい。スターになる。運動出来る奴はどんな運動もすぐに出来てしまう。これも我がクラスのヒーロー。勉強出来る奴は大した努力もせずに出来る。これも一目置かれる。

バドミントン部の女の子が相方の腕の筋肉を触って、あたしとはやっぱり違うという。映画部前田 (神木隆之介) がひろき (東出昌大) をカメラで足の先から頭のてっぺんまでなめ回して、やっぱりカッコいいという。ゾンビや血糊作りは監督にはなれない。この歴然たる現実。それが異性という鏡を通した時、屈折しより露骨に示されるのが高校生。でも僕等はこの世界で生きていかなくてはならない。劇中の自主映画の台詞。

でもカッコいい奴が必ずしも幸せになるとは限らない。美人が素敵な彼氏と一緒になるとは限らない。頭の良い奴が成功するとは限らない。それでなければ人生は面白くない。でもそれが解るのはうんと後。高校生という時期は残酷なのだ。この時期を乗り越えられない奴だっている。何より一所懸命になる、夢中になる、ということが大切なのだと、神木映画監督は言う。

天賦に恵まれるも、一所懸命ということを馬鹿にしてしまう者は、地味にカッコ悪く、でも夢中になるものを持つ奴を羨ましく思っていたりする。そんな今の青春前期をビビッドに描いて爽やか見事。

音楽は、ブラスバンドの練習を現実音扱いしながら上手く使って効果的。上手いアイデア。オリジナルの音楽は無いに等しい。どうせなら少しある単音の劇伴、無しにすれば良かった。

ローリングで高橋優という人の我々の頃のようなマイナーのメッセージフォーク。締めとして合っていた。私は懐かしかった…

綺麗なだけで人生は渡れない。カッコいいだけで女にはモテナイ。でもこれ大人になって解ること。高校生の時はこれが剥き出しなのだ。

この監督、「パーマネント野ばら」の人だ。あれも良かった。

監督 吉田大八  音楽 近藤達郎  主題歌 高橋優「陽はまた昇る」