映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2012.9.20 「夢売るふたり」 ヒューマックス有楽町 

2012.9.20「夢売るふたり」ヒューマックス有楽町 

 

明け方の築地あたりの遠景、この下には庶民の悲喜こもごもがある。市場で買い出しする男 (阿部サダヲ)、そこにAg 1本でゆっくりとしたブルースが被る。カッコイイ。何が始まるのか。甲斐甲斐しく店を切り盛りする女 (松たか子)、厨房から愛想を振りまく男、夫婦が借金して開いた居酒屋は繁盛している。

ところがちょっとしたミスで厨房から火が出て店は燃えてしまった。そこからは喜劇だ。人の好い誰にでも好かれる旦那のキャラを使って淋しい女どもから金を巻き上げる、ではなく、二人は悪党ではないので、自分たちの店を持つという夢の為に、いつかは返すと心で言い訳して承諾のない借金をしていくのだ。結婚詐欺である。プランナーは松、阿部はその指示に従い演じる。

高級和食店のカウンターに騙された女たちがずらりと並び、口々に男を良い人といい、自分だけは特別な関係であると言う。壁の梁には熨斗袋と借用書がずらりと並ぶ。ここは笑い処受け処。しかし笑えない。

阿部サダヲは誰にでも好かれる良い人かもしれないが、女に結婚を決意させるようなキャラではない。操る松も、夫に体を売らせて平然と金を引き出す女には見えない。このへんから喜劇の軽さが無くなっていく。

 

話は漫画チック、漫画の部分を阿部が引き受け、それをどこか冷めた目で見ている松がいる。その部分をAg 1本(2本かも、ベースも入っているかも) のスローなブルースが支える。必要最小限のところに心情を遠くから見つめるように入る。松の冷めた目は音楽と一体化して映画全体を貫く。それがこの映画を良く言えば落ち着いたものにしている。しかし全編これだと音楽でメリハリは付けにくい。明るく笑い飛ばす庶民の力みたいなところ、そこにギターのブルースが流れると笑い飛ばせなくなるのだ。音楽がマイナスの方へマイナスの方へ引っ張っていく。

管楽器が入って賑やかになるところが2カ所程あるが、編成はそんなに大きくないし演奏も上手くない。賑やかさがショボイ。

最初の詐欺が成功して金が入った。それからは松の指導の元、嘘八百並べてイケイケ、ここは無理してでもサンバで行ってほしかった。浅草サンバカーニバルである。その位極端にしないと、ふと女心に目覚める松にコントラストが付かない。夢の為に旦那に美人局をやらせるならそれ位吹っ切れてないとダメだ。

この話、どうみてもデフォルメして初めて成立する話、リアルではない。デフォルメで成立する話をリアルでやってしまったという感じがしてならない。

ウェイトリフティングの女をカモにしようとするあたりから、二人に隙間風が吹き始める。その辺の心情にはブルースは良く似合う。

 

監督自身、決めきれてない感じがする。西川美和作品は「ゆれる」にしても「ディアドクター」にしてもリアルで自然なタッチだ。「ティア~」は鶴瓶のキャラが絶妙に生きて胡散臭さが笑いを呼んだ。本作はキャスティングも含めてもっと徹すべきだった。マストロヤンニが出るようなイタリア下町人情喜劇にするべきだった。それに徹する覚悟が出来てなかった。あるいはそこに徹さなくても成立すると考えた。その曖昧さがこの映画を何を描いているのか解らないものにしてしまった。

 

包丁が出て来た時、あれっ、誰かをブスッでオチかなと心配になった。けれど子供が遊びのつもりで鶴瓶 (騙された女から依頼を受けた探偵) を刺し、次のカットで倶利伽羅紋々の鶴瓶の背中、そこに昔からの馴染みの刑事の“おっさんもこんな素人に刺されるようじゃ歳だね”(正確ではない) 的な台詞が被る。阿部サダヲが、自分がやったと被ったのだ。この一連、脚本も演出も良い。鶴瓶の存在感が凄い。

阿部は刑務所の中でもみんなから好かれ卒がない。松は市場で逞しく働き、騙した女たちに借金を返す。その松の凛としたアップ。このラストカット、一人で生きていく女の覚悟か、出所を待ってもう一度夢を追い駆けましょうという一途な顔か。どちらとも取れる。明解シンプルである必要はないがこの映画、あまりにどこも曖昧で色々に取れ過ぎて、もう少しすっきりさせてほしいのだ。

ローリングでまたブルースが流れる。渋いが…

 

監督 西川美和  音楽 モアリズム