映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2015.7.13 「バケモノの子」スカラ座

 2015.7.13 「バケモノの子」スカラ座  

 

前作「おおかみこども」は、おおかみと人間が愛し合い子供を作り、人間社会の中でひっそりと生きていくという、種を超えた話に驚き衝撃的だった。次がバケモノである。いやでも期待は膨らむ。結果は…

父が失踪し、母が死に、親戚の保護を拒否した9歳の少年・九太が、渋谷の片隅にポッカリと入口が開くバケモノ世界へ迷い込む。ハリーポッターのヴィクトリア駅8と1/2番ホーム(?)である。そこで出会った粗野で乱暴で正直男熊徹に育てられ立派な男となるという、少年の成長物語。

バケモノ世界では次期リーダーを決める戦いが二人の候補の間で繰り広げられていた。その一人が育ての親熊徹。バケモノにすることでアニメ的見せ場は一気に作りやすくなり、画面はスペクタクルな展開になる。しかしバケモノにした理由が、アニメ的見せ場作り以上に考えられない。頑固ジジイに育てられる少年『ベストキッド』で充分ではないか。何故バケモノにしたのか。人間は人を殺すがバケモノは殺さない。剣は鞘に収めたままで戦う。「バケモノは互いを殺しあわない」という人間を超えた存在? あのひとネタが人間とバケモノの世界の大いなる違いを示すもの、とするには無理がある。人間とバケモノのきちんとした位置付けが無いのだ。

成長した少年は人間世界に出入りするようになり、そこで少女と知り合い、学ぶことに目覚める。父とも再会する。しかしそれがどれも羅列、有機的に繋がってこない。九太は実の父より育ての熊徹を選ぶ。水は血よりも濃いのだ。

人間には黒い穴がある。バケモノ世界でもう一人いた人間との黒い穴同士の戦いがクライマックス。黒い穴とは、憎悪? どうみてももう一人居た人間という設定は、クライマックスで九太を戦わせる為に継ぎ足した設定にしか見えない。

バケモノの世界は、中国西遊記の世界、ヨーロッパ中世の街並み、イスラムの市場のよう、竹林の賢者の世界、中国残留孤児が暮らした中国奥地の貧しい農民の世界、だったりする。アニメゆえに許されるゴチャマゼは良い。国も時代も種も超えてよい。ただ人間世界との対比と意味づけだけはきちんとしなければ、単にアニメ的見せ場作りの為だけの設定ということになってしまう。

音楽は大きな編成、バケモノ国の音楽は中国楽器を使ったような響きのオーケストラ、画面のスペクタクルに合わせて流麗に展開。オーケストレーションは大変だったろう。しかしメロとして残るものは無い。オケの他、情感たっぷりのところはPfソロだったり。音色としても印象的なものはない。最後にミスチル、先日NHKの番組で小林武史と離れて桜井が一人で作り上げる姿を追っていた。前は彼のボーカルもっと前に出てきていたのに。グッと出てこない。バックのサウンドが変に厚味だけあってモヤッとしている。

子供向けでもなければ大人向けでもない。あの人間世界でひっそりと暮らすおおかみと人間の夫婦、そしてその子供たち、あの異形の哀しさとそれ故の絆、おおかみの世界を選び家族と訣別して森へ去っていく兄の自立の雄雄しさ、そんな気高さが欠片もない。残念!

興行収入100億なんて肩に追わされると宮崎駿の二の前になる。

監督 細田守  音楽 高木正勝  主題歌 Mr Children「Starting Over」