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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2015.10.13 「岸辺の旅」丸の内TOEI

2015.10.13 「岸辺の旅」丸の内TOEI

 

黒沢清はいつも『死』をテーマにしている。こんなことに拘り続けるのは大変なことである。岸辺とはあの世とこの世の境目、そこを3年前に死んだ夫と、夫の死を受け入れられないでいる妻が旅をする、死者と生者夫婦のロードムービーである。一見有り得ない物語と思えるが、死んだ人を忘れられずいつもその人とブツブツ会話をしながら生きている人なんて沢山いる。そのブツブツの相手を幽霊ではなく、普通の肉体を持ちしかも誰からも認識出来る存在としたことで物語は成立した。生者が拘り続ける限り死者は成仏しないまま身近にあり続けるのだ。死者と生者の境目なんて実は有るような無いようなもの。

夫が居なくなって3年、妻は拘り続けた。突然夫が戻ってきた。死者であるが一見普通の肉体を持ち誰もがその存在を確認出来る。二人は岸辺の旅に出る。知らなかった夫のことが解る、自殺だったことも。妻が納得した時、夫は向こう側へ消えていく。自殺の原因が明確に解る訳ではない。妻の納得がなる程とうなずける訳でもない。明解にするとただの人間ドラマになってしまう。だから淡々としてドラマ的盛り上がりはない。それで2時間を引っ張っていくには大変な知恵と技術がいる。観る方も忍耐がいる。果たして知恵と技術があったのか、それは評価の別れる所だろう。退屈しそうになった時、懐かしい夕暮れの地方ロケの映像は気持ちを温かくしてくれた。そして深津絵里の存在。

宇宙の話が出てくる。ビックバンから173億年、でもまだ宇宙は始まったばかり、銀河系の様な宇宙が10の何十乗も存在するという。その時『私』なんて雲散霧消してしまう。原子として漂う『私』、漆黒の宇宙の絶対孤独。

だからこの物語はいつも背後に死と宇宙を意識する。それなのに音楽は人間ドラマの音楽、もっと言えばホームドラマの音楽なのだ。Ob、Saxがゆったりと解りやすく落ち着いたメロを取り、Harpのアルペジオ、後ろに弦が這う。かと思うとマーラーアダージョの様な弦の厚い響き。淡々とした映像の背後の宇宙的意味合いを音楽が不自然に語り盛り上げる。そしてエンド音楽はホームドラマの様に優しく単純なメロ。音楽が大友良英(江藤直子連名)とあるのに驚いた。大友らしさがどこにもない。大友だったら武満的アプローチという手があったはず。しかしそれをやるとサスペンス色が出てしまう。サスペンスとホラーの匂いは避けたかったのだ。この旅を二人の愛を確認する温かいものにしたかったのだ。音楽で宇宙は感じさせなくてよい。その結果、宇宙と死を抱える物語ながら音楽が人間ドラマの方へ引っ張っていく役割を担ってしまった。

これは大友の考えだったのか、監督の考えだったのか。サスペンスとホラーを回避した時、確かに音楽は付けにくい。ならばこれまでの黒沢清らしく極力音楽はそぎ落として要所のみに付けるという方が良かったのでは。金管 (Tp ?) の入った曲があった。あの曲は大いに違和感あり。オーケストレーションが良くない。オケを使う必要なんてなかった。

サスペンスとホラーは黒沢のエンタメとの接点である。これを回避したことによって映画がエンタメ性を弱めたことは間違いないがそれは確信犯。映画の評価は色々あると思う。が、少なくとも音楽は上手くいっていない。大友良英らしくない。

父親の亡霊、不要。蒼井優、怖い。

監督 黒沢清  音楽 大友良英