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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.6.24「クリーピー 偽りの隣人」シネリーブル池袋

2016.6.24「クリーピー 偽りの隣人」シネリーブル池袋

 

黒沢清、久々のメジャー作品。原作もあり。

犯罪心理学者・高倉(西島秀俊)、妻・康子(竹内結子)、引っ越してきた隣に西野(香川照之)、大体ここで先は読める。それをいかに語ってくれるか。

お隣と馴染んでいくプロセスはとってもリアル、それに伴う違和感の増大もリアル。一方で犯罪心理学者としての興味から未解決事件を元部下の野上(東出昌大)と調べ始める。お隣と未解決事件は無関係に進行して、やがて重なっていく。前半は日常の微妙な違和感を丹念に描いて引き込まれる。いつどんな風に事件として全貌を現すのか。

撮影・芦澤明子、色調を抑えてモノクロの様なカラー、「岸辺の旅」も撮影は良かった。「さようなら」もこの人だ。

野上が一人隣の家に乗り込むあたりから、一気にホラー猟奇物になってしまった。

アメリカの家には概ね地下室がある。犯行現場はほぼそこだ。日本の家屋に地下室なんて無い。ところが乗り込んだ野上はコンクリートの細い廊下をどんどん進む。一階なのか地下なのか。行きついた先には鉄の扉、その中で殺人が行われていた訳だ。

隣の家はどういう間取りなのか。西洋風洋館だったら解る。でもそうするとお隣感は無くなる。エクスキューズの様に工事中の柵が高倉と西野の家の間に置かれている。この下で地下室作りと殺人が行われたという訳か。この“有り得ない”、映画を成立させる為には認めるしかあるまい。

クライマックス、西野を追い詰めた高倉、しかし洗脳された康子が高倉の手に注射を打ってしまう。崩れ落ちる高倉。あの注射が解らない。打たれると一発で洗脳されてしまうのか。

この家は引き払う。これからは高倉夫婦、澪(藤野涼子)と私、4人が新しい家族だ、そう宣言する西野。高倉に犬を処分させようと拳銃を渡した。その拳銃で高倉は西野を撃つ。

解放された康子、獣の様な叫びを上げて高倉に抱き着く。どうも話に無理がある。

 

竹内結子がとっても自然である。許容の限界を超えた恐怖から解き放たれた叫びもリアルだった。「ソロモンの偽証」でデビュー、熱演した藤野涼子が今回も頑張っている。香川のサイコパスはあれで良いのかよく解らない。気持ち悪いことだけは確か。

西島秀俊、ロボットの様な気がしてならない。感情が表情に出ない。台詞はレベルが驚く程一定している。付けているのだろうが抑揚が感じられない。注射を打たれても拳銃で香川を撃ち殺しても竹内を抱きしめても一定だ。犯罪心理学者という役作りの為、それだけとも思えない。これが西島という役者の持ち味なのかも知れないが。西島でなかったら別の映画になっていた。

 

音楽、トップの格子越のクレジットに入る弦の曲、警察署内の階段でのサスペンスの低弦の曲、どちらも良い。羽深由理、初めて見る名前。久々きちんとした当て書きの劇伴、オーケストレーションもしっかりしている。前半は低弦が四分音符を刻むサスペンス、そこに加わる高い弦、この二つのパターン。細かく的確に付けている。ただ話の展開をサポートする為以上ではなく、それ以上の役割を音楽に担わせていない。

野上が西野宅を訪れ、隣の隣の田中家が出火し、翌日笹野高史が登場する、ここから事件の全貌が一気に現れる。この一連、話の分水嶺、ここには纏まった音楽が欲しかった。サスペンスを補強するだけではなく、主張する音楽。日常の丹念なリアリズムから猟奇ホラーへと飛躍するターニングポイントなのだから。

エンディングに主題歌が無かったのは良い。これまでの音楽に木管が加わった大編成のしっかりしたオーケストレーション。最後の最後、監督クレジットあたりで大仰な前時代的締めのジャ~ン! あれだけはちょっと耳を疑った。総じて音楽は良い。もっと役割を持たせてあげればと思った。

そう言えば数年前、神戸の方だかで、ちょっとしたスキに家族を乗っ取り、身内で殺し合いをさせ、そこの娘と自分の息子を結婚させるという、教祖の様なおばさんとその家族の事件があったなぁ。この後味の悪い映画より現実はさらに進んでいる…

 

監督.黒沢清   音楽.羽深由理