映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.7.28 「トランボ」 日比谷シャンテ

2016.7.28「トランボ」日比谷シャンテ

 

ダルトン・トランボ(1905~1976)、「ローマの休日」「スパルタカス」「黒い牡牛」「ジョニーは戦場へ行った」等の脚本家、非米活動委員会に告発されたハリウッド・テンの一人。

第二次大戦中、米ソは同盟国でアメリカには多くの共産主義者がいた。それが戦後冷戦となってから風向きが変わる。1950年代、共産主義者排斥が全米に拡がり、ハリウッドはその解りやすい標的とされた。マッカーシズム赤狩りである。裏切りや密告で仲間が切り崩される中で、トランボは変わらず一貫した。仲間を売る取引にも応じなかった。その結果、収監され、出所後も仕事は無い。郊外の大きな家を売り、小さな家に引っ越すも家族の絆は堅かった。

金が必要だ。娘と脚本家仲間に、これを売り込もうと思うと原稿を見せる。面白いけど「アン王女」という題名が良くない。「ローマの休日」では? 小さな娘が、”私もそう思う” 脚本がメジャーに売れた。もちろんトランボの名前は伏せて。こんなエピソードだけで嬉しくなってしまう。あの名作がこんな風にして誕生したなんて。「ローマの休日」(1953) はアカデミーの脚本賞を取る。イアン・マクレラン・ハンターという別人の名前で。

彼は家族の為、ペンネームを幾つも用意して、B級C級の映画の脚本を猛烈に書き出す。それは彼の戦いでもあった。金と女にしか興味のないマイナー製作会社社長とのやり取りが面白い。社長が、エイリアンが地球の女を孕ますに変えたらどうだ(不確か)、多分映画通はこれだけで、あの作品! とピンと来るのだろう。私には分からない。通にとってはあのやり取り、たまらないはずだ。

エログロの合い間に家族物として書いた「黒い牡牛」(1956) がアカデミーオリジナル脚本賞を受賞する。この時の名はロバート・リッチ。

カーク・ダグラスが突然訪れてくる。ここに酷い脚本がある、だがストーリーは面白い、監督はキューブリック、酷い原稿の表紙には「スパルタカス」(1960) とあった。同じ頃,横柄な男がやはり突然やってくる。オットーだ、オットー・プレミンジャーだ、この名前の前では誰もがひれ伏すと思っている。同じようなことを言う。ここに酷い脚本がある、だがストーリーは面白い。主演はポール・ニューマンだ。その表紙には「エクソダス(栄光への脱出)」(1960) 。もうワクワクしてしまう。あの名作たちが誕生する瞬間がドラマとして語られる。それらはみな事実であり(多少の誇張はあるにしても)、登場人物は実名で出てくる。エディ(エドワード・G・ロビンソン)なんて問題無かったのだろうか。今更蒸し返されたくない過去だ。多分、この企画、みんな鬼籍に入ったので実現出来たのだろう。

ケネディが「スパルタカス」を称賛する。流れが一気に変わる。復活したトランボが、非米活動委員会がどれくらい罪なき人の生活と名誉を奪ったか、死に至った人もいる、それを静かにスピーチする。そして支え続けてくれた妻と家族に感謝を述べる。厳かに涙腺が決壊する。!

家族とのギクシャクは当然あった。娘の誕生日に1分も時間を割かない父、ひたすらバスタブに浸かったまま、タイプライターを打ち、原稿を切り張りする。今の様にワープロがあるわけではない。シーンの入れ替えは切り張りが一番早い。娘や妻と衝突するが、みんな父親を一番尊敬しているのだ。だから乗り越えられた。妻・クレオはあの「ストリート・オブ・ファイアー」のダイアン・レーン、素敵な歳の取り方をした。

トランボの役者(ブライアン・クランストン)を知らない。いかにもインテリ、ちょっと強引で人の言うことを聞かない。そんな感じが良く出ている。昨年のアカデミー主演男優にノミネートされている。実際のトランボはどうだったのだろう。本当に能力があり、自信もあり、凡人には付き合いきれない様なところもあったか。

 

音楽は時代を現す既成曲を多用、その間に劇伴少し。これが不思議な音楽だ。プリペアドピアノ? 何かのパーカッション? 私の耳 (音楽的耳が無い上に左耳が聴こえない) では解らなかった。小編成の弦の白玉の上にこれがコロコロコロと載る。哀しいでもなく嬉しいでもなく、ドラマの感情とは距離を置いた冷静な音楽。他にPf中低域の間のある打音。この音楽が家族の感動物語のみに堕っすることを食い止めている。

大好きなヘレン・ミレンは絶大な影響力を持つ映画記者ヘッダ・ホッパー、非米活動委員会のお先棒担ぎのイヤなババァ。最後は、あなたの勝ちだわ、あたりで締めるのかと思ったら、最後までイヤなババァを通した。ジョン・ウェインロナルド・レーガンは愛国の名の下、ハリウッド赤狩りの先頭にたった。

映像は話が話だけに広い画はない。室内で議論するか執筆するか。広い画の代わりに名作の抜き焼きが効果的に変化を付ける。「スパルタカス」の大オープンにキューブリックを訪ねるとかのシーンを作れば大作感は出るのだが、それをやる予算規模の映画ではない。知恵で十分に補っている。

私は1949年生まれ。「ローマの休日」や「スパルタカス」や「栄光への脱出」はリアルタイムの公開ではなかったが高校生の頃、新宿の名画座で見て映画に目覚めさせてくれた。「栄光への脱出」の音楽 (アーネスト・ゴールド) は長らく私のマイベスト映画音楽だった。そしててっきり「ベンハ―」の様な歴史スペクタクルと思っていた。新宿で見た時、それがシオニズムの現代もの(イスラエル独立の話)なのに驚いた。どれも私にとってはついこの間、のことである。

人は時代の雰囲気に流されやすい。同調圧力が強いのは日本に限ったことではない。いつの間にか共産主義者は非米非愛国にすり替えられて寄って集ってイジメられる。あれは国家のイジメだ。時々イジメをやって国の団結と高揚を図る。その時掲げられるのは”愛国”だ。”愛国”を声高に言う奴を信用してはいけない。

トランボはブレずに戦った。理屈ではなく、自分が生み出す、より商品価値の高いものを掲げて。アメリカという国は、より商品価値の高いものを必ず認める、これこそアメリカ資本主義の精神だ。そして自分はそれを生み出せる、そう信じている。凄いなぁ、と思うしかない。平日の4時、凄いなぁ、俺には出来ないなぁ、という私の仲間で、劇場はかなり混んでいた。

ちなみに私の全映画ベストは「ローマの休日」なのであります。

この映画を観て、アメリカはまだ大丈夫だと思った。それより日本は大丈夫か。そっちの方がとっても心配である。

 

監督.ジェイ・ローチ  音楽.セオドア・シャピロ