2017.06.09 「海辺のリア」 スバル座
2017.06.09「海辺のリア」スバル座
仲代達矢が、かつては大スター、今は80の坂を超え施設暮らしをする呆け老人・桑畑兆吉を演ずる。
娘・由紀子 (原田美枝子) とその夫・行雄 (阿部寛)。かつて桑畑を尊敬し弟子だった。今は由紀子と結婚し、プロダクションの社長に収まっている。そこの社員で由紀子と深い関係にある男 (小林薫)、由紀子とは腹違いの孫の様な歳の娘・伸子 (黒木華)、出演者はそれだけ。五人が織り成す舞台劇の様な話。
桑畑と仲代がWる。無名塾を主催して今も現役の仲代と施設に入っている桑畑では全く違う。だが老いてなお芝居に憑りつかれているという点ではどうしようもなくWって見えてしまう。作り手もそれを狙っている。ロケは北陸の海辺一箇所のみ、大仕掛けはなく、ひたすら台詞で語られる。あまりに台詞ばかりなのでちょっと食傷気味になる。これまでの人生、子供との関係、腹違いの娘がされた仕打ち、今の状況、全てが台詞だ。それが海辺の似たような景色をバックに延々と続く。
仲代の立派過ぎる声と見事な滑舌はどちらかと言うと僕は好みではない。あまりに演劇的だ。体もがっちりとして良く歩く。あんな老人もいるのだろうが、随分立派な呆け老人である。仲代でなかったら成立しない企画なので仕方ないのだが。
音楽は頭とお尻、中ほどに少し。多分これ、曲はクラシックの既成曲。エンディングの曲は良く耳にする曲 (題名失念) なので間違いない。
冒頭、VCのソロで入る。中低域のしっかりした音。それに合わせて中央タテにキャストのクレジットがゴシック体 (?) で一人づつ入る。黒地に白抜き、最もシンプル。しかしVCの中低域と合って、落ち着きを作る。格調すら感じる。このクレジットタイトルと音楽、良い。音楽、劇中には1~2カ所入るだけ。後はエンドロール。有り物音源か演奏し直したものか。音楽クレジットはプロデュースの意味合いか。
台詞で殆どを語る映画があったって良い。それが映画的表現になっていれば。
黒木華が良かった。阿部寛は体を使えない芝居なので辛いものがあった。
それでこの映画は何を伝えたかったのか。
周りの犠牲も顧みず、自由に生きた名優の、呆け乍らも未だ演じることに憑りつかれている、そんな役者とは、ということか。あまりにストレート。こちらの思いを差し挟む余地なく、あゝそうですか、で終わってしまった。
監督 山本政広 音楽 佐久間順平