映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2018.1.26 「DESTINY 鎌倉ものがたり」 新宿ピカデリー

2018.1.26「DESTINY 鎌倉ものがたり新宿ピカデリー

 

鎌倉である必然性が全くない。鎌倉はお化けも死者も普通に共存する、何故? 多少は鎌倉の歴史なり地形を紐解いて、簡単な理由づけのひとつもあれば。鎌倉はそう言う所です、ご了解下さい、で始まり終わる。

前世からの因縁で推理小説家・一色先生 (堺雅人) と亜希子(高畑充希) は結ばれることになっていた。そういうことなのでご了解下さい。そうか、これはファンタジーなんだ、何でもOKなんだ。解りました、了解です。

けれど亜希子が階段で躓いて死んでしまう。あれは何? ドラマの発端なのに。話も唐突。映像的にも良く解らない。

 

魂と肉体が分離する。少し前に死んだ、小さな娘がいる母親の魂が、この世に未練を残して彷徨っていた。そこで亜希子の肉体を使って少しの延命をする。このヘンテコな斡旋をするメフィストフェレスの様な死神コーディネーターが何と安藤サクラ。ガム子も芸域を広げたものである。

亜希子の肉体を捜し当てた一色に、父親と亜希子の姿をしている死んだ母親と幼い娘が、どうかもう少しこのままにさせて下さいと泣いてすがる。ヘンテコな話である。

一色は黄泉の国に亜希子を取り戻しに行く。肉体は見つけた。魂と一体化させてこの世に連れ戻す。ファンタジーだ、無粋なことは言うまい。

そこには死んだ一色の父親と母親が幸せそうに暮らしていた。

 

あの世は瀬戸内の島々に小さな家がへばりついている様、ちょっと中国テイスト、「千と千尋~」の匂いもする。そこに何代も前から亜希子に横恋慕している怪物が出てくる。そいつをやっつけて無事この世に帰って来るという話だが… 何度も言う、これはファンタジー、何でも許される。でもそこに人間は死ぬ存在であることの哀感なり詩情のようなものが少しでも漂っていれば…

原作の漫画はどんなものなのだろう。まずは原作を映画のシナリオにしなければならない。映画以前のシナリオではどんなにCGを使ったところで映画にはならない。

亜希子は肉体と魂が合体したことで生き返り、先の母親は本当の死を迎えることになる。その時泣き叫ぶ娘を見て、”一色先生、また来世で会いましょう” と肉体を提供して、この世には戻らない位のドラマがあるのかと思っていた。

堺雅人は適役だったのか。あの独特のデフォルメはこの映画に合っていたのか。イヤ、あのデフォルメのお陰で何とか持ったのかも知れない。高畑充希はブッチャイ可愛らしさを出して健闘。貧乏神 (田中泯) が天本英世にちょっとWった。

音楽、佐藤直紀。大編成のオケで正統な劇伴を書いていた。「海賊と呼ばれた男」でも佐藤の音楽が映画を支えた。しかしさすがの職人技をしても今回は支えきれなかったようだ。

 

監督. 山崎貴  音楽. 佐藤直紀