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映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2015.5.15「セッション」新宿TOHOシネマズ 

2015.5.15「セッション」新宿TOHOシネマズ 

 

人生が展開する瞬間、それをジャズのDrを通して見事に描いた映画。

最近見た映画の中では一番パッとしない風貌の男、このユダヤ系主人公が、のし上がってやる! とひたすらDrを叩く。ようやく出来た恋人もDrの修行の邪魔になると捨てる。

一方でジュリアードもどきの音楽学校の、ダンサーの様に精悍な肉体と傲慢さを持つ音楽教師、手を出してはいけないなんていう今の教師像とは真逆、ひっぱたく,罵倒する、差別用語は言いまくる。この教師の下で挫折した若者の屍累々。だがカッコイイ。蜷川幸雄とかモーリス・ベジャールを連想する。

練習は過酷、ダメな奴は直ぐに代えられる。仲間同士の足の引っ張り合い、教師のウソ、突然の曲目変更等、脱落させるやり方は汚くて凄い。誰も信用出来ない。その中で勝ち残れる奴は? 音楽をやる喜びとは無縁、しかし世間が認める何者かに成りたい。若者は必死だ。

主人公はハメられて”お前は終わりだ”と宣告され一旦は足を洗う。

マルサリス(この名前出すだけでリアリティある)に認められて引き上げられた先輩が鬱で自殺するエピソードは前半でそれとなく挿まれていた。その時鬼教師は涙を流していた。

引退した主人公の元にナントカ(?)委員会の調査官が訪れる。自殺の原因が行き過ぎた指導にあったのでは…

学校を首になった教師はジャズクラブでPfを弾いていた。偶然主人公と再会、二人は心を許す。明日コンサートがあるがDrがいない、曲は学校でやっていた曲、スカウトも来る。諦めた夢の最後のチャンス、どっちに転んでも踏ん切りが付く。教師はその機会をくれたのかも知れない。

ところがコンサート当日教師が言う“甘く見るなよ、密告したのがお前ということは解っている”。演奏する曲も別曲だった。着いていけない主人公に回りの演奏家からはブーイング。演奏中断。楽屋に引いた主人公、再び舞台に戻ると一人Drを叩き出す。指揮する教師が止めろと言っても止めない。曲は教師指導の下学校でやっていた「キャラバン」。一人で叩き続けるDrに少しずつ他の演奏家が付いてくる。教師も従わざるを得なくなる。他の演奏者もノッてくる。ブラスが入って演奏は出来上がる。

PB撮影だろうがそう見えない。まるで同録。役者は徹底的にDrを仕込まれ、監督もかってドラマーを目指した経験があるという。音と絵のズレなどという日本映画的レベルの低さではない。本当に同録としか思えない。切り替えしがあるからPBなのだろうが。

コーダの後もDrだけが一人で叩き続ける、誰も止められない、それは教師と主人公の格闘技、戦い、そして対話。スティックを持った手から血が滴り落ちる。ロッキーである。最後に教師が指示して管が加わりコーダを鳴らしてCO、黒味でローリング。

 

誰にでも人生が展開する瞬間がある。その為には脇目も振らず他を犠牲にしても突き進む必要がある。何者かになってやる。のし上がってやる。そのエネルギーと集中力はただ自分を信じることからしか生まれない。それは若者にだけ出来る、若さの特権である。

楽屋に戻った主人公を彼女が待っていた。やるだけやった。ガムシャラだった青春の日々、これからは二人で生きていこう、これはとっても解りやすくみんなが納得する終わり方。しかしこの映画は人生が展開する方に賭けた。教師と主人公の間には表現者としての一瞬の輝きを認め合う電流が走った。映画はこれで認められてプロへの道が開けたという予感を残すが、あるいは結局主人公はプロにはなれないのかも知れない。それでもいい。二人は表現者として認め合った、それで良いではないか。

ビッグバンドジャズがカッコイイ。変拍子のほとんど現代音楽の様。それをブラスがキチッと決める。NYジャズの学校ってあんなにレベルが高いんだ。日本人も随分留学しているよう。映画にも日本人女性らしきバンドメンバーがいた。

教師の指先でカウントする仕草は秋吉敏子のようだった。

劇伴少し、ほとんど単音を伸ばしたりシンプルなフレーズを繰り返したり。でも効果的、それで過不足無し。演奏シーンの音楽とDrが充分映画を埋め尽くす。

他が見えなくなる位ガムシャラになった経験を持てた者は幸せである。それが世間に認められようと認められまいと。私には無かったなぁ。

監督 デ三アン・チャゼル  音楽 ジャスティン・ヒューウィッツ