映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2016.4.21 「モヒカン故郷に帰る」 スバル座

2016.4.21「モヒカン故郷に帰る」スバル座

 

この監督の「キツツキと雨」はとっても好きである。「南極料理人」も「横道世之介」も良かった。話をガチガチに詰め込まない。独特のルーズさがある。シーンの展開は余計な説明などせず早い。だがシーンの中は慌てず焦らずルーズにやっている。この映画もそうである。

“断末魔! 断末魔! ”と叫ぶもう若くないロッカー永吉 (松田龍平) が腹ボテの由佳 (前田敦子) を連れて、7年ぶりに故郷広島の離島に帰る。松田は地なのか演技なのか分からない、いつもの不貞腐れた様なとぼけた様な口数少ない一拍遅れ、前田は毎度恐れ入るぶっ飛び芝居。眉間に皺寄せて寝ている前田の皺を松田が延ばす導入は良い。

故郷には矢沢命の父(柄本明)と広島カープ命の母(もたいまさこ)、比較的真っ当な弟浩二(千葉雄大)、そしてまだ残っていたラテン乗りの素朴な地域社会。結婚と妊娠の報告をして直ぐ帰るはずが、父が肺がんで余命幾ばくもないことを知り、直ぐに帰る訳にもいかなくなり、その内少しずつ父母との関係を取り戻し、故郷を確認するという、話としては良く有る話。そんなこと言うと映画のストーリーなんて大体決まっている。それを如何に語るかだ。その語り口なのだ。

 

ピザが喰いたいという親父、電話をしまくる、ピザの配達、離島までは…、親父、癌なんです、宅配バイクを船に載せてピザ屋が来る、感動しましたと永吉と熱いハグ。真実の冗談風味。

矢沢は広島県民の義務であるとタクトを振る中学の吹奏楽部コーチの親父、矢沢は吹奏楽向きではない、それに部員は矢沢なんか知らない、それでもやり続ける親父。

画面左にスッと起き上がりベッドでフレームインする親父、柄本の顔も含めてホラー。

病院のベッドで幼馴染の医者が将棋を指しながら、紹介状書くから大きな病院へ行けという、俺、お前でいいや。

病院の屋上からタクトを振って、隣の校舎の屋上に並ばせた吹奏楽部を指揮する親父、指示と音のチェックは携帯で。

病院の患者とスタッフを総動員しての結婚式、明日は天気が良いといいんですが、次のカットは土砂降り

回りくどい言い方をするけど結局自分の考えを持たない永吉。いつもどっしりと構える母。いつのまにかしっかりとこの家この村に喰い込んでいる由佳 (前田アッちゃん増々凄い)。

永吉が矢沢の格好をして親父の夢枕に立つシーンは良かった。フェリーニの映画のようだった。

オリジナル脚本、アイデア満載、笑いの底から涙が沁みだす。

 

音楽、初期の告知には細野晴臣となっていたが、最新のポスターには、音楽・池永正二、主題歌・細野晴臣となっていた。何があったか。

トップはデスメタルで“断末魔”、吹奏楽は矢沢、親父の口ずさむ歌はみんな矢沢、劇伴は要所に少しである。スライドG、マリンバ、アコっぽい音色のSyn、リズム帯、ゆるいブルースである。島に帰ってくるまでとか、時間や場所の経過のシーンに付く。運びとしての役割、それ以上ではなくそれで充分この映画のコアを理解して的確。

感情なんかには付けない。癌と告知されたところを音楽で盛り上げようなんてしない。急に泣き出す弟に水を買いに行かす。ところで何本? とちゃんと笑いを取る。その後母までが涙を悟られまいと水を買いに行く。親父が永吉と由佳に癌なのか? と聞く。首を縦に振る永吉、横に振る由佳。ことほど左様にちゃんと笑いをまぶしているのだ。だから深く泣けるのだ。そんなところに音楽は付けない。音楽を付けて誘導する涙は安っぽい。

“絶対に泣ける映画” “今年一番泣ける小説”“泣けて泣けてたまりませんでした”泣けることを売りにする小説や映画は下品である。他に売りがないのだ。泣かせるだけなら、誰か恋人なり家族なり自分を殺せば良い。そして残された者の泣く姿を延々と映せば良い。そこにウェットな音楽を流せば大体泣きは誘導される。泣くことが感動などと思うなかれ。あれは単に浅い感情次元での生理現象なのだ。泣いて感動しましたなんて勘違いする馬鹿が多すぎる。それをまた宣伝が利用し過ぎる。いつの間にか『泣く』という感情の発露としての行為は底の浅いペラッペラなものになってしまった。

話がそれた。この映画はその真逆、どうしようもない悲しみを如何に笑いで包んでしまうかと一所懸命努力している。人の死を前にしてもグーッと腹は鳴るし、綺麗な女が通れば一瞬目はパンするも慌てて不謹慎と元に戻す、葬式の最中ヘンテコな演歌が聴こえてきたりするし選挙の車だって通る。人の死を前にして哀しい音楽が流れるのは映画だけなのだ。そんなレベルの低い作為を、この映画はきちんと排除している。

母、永吉、由佳で親父を車椅子に載せて海辺へ行く。親父と永吉と二人になった時、意識が混濁し始めた親父は永吉に言う。中学卒業してもTpやるのか、東京へ行け、行ってBigになれ、Bigになって帰ってこい! その時初めて永吉は泣いた。この時二人は時間も空間も血も超えた、この親父に育てられたことに感謝した、この親父に巡り合えた奇跡に感謝した…

病院の結婚式、親父は移動ベッドにタキシードで寝たまま参加、誓いのキスの瞬間、親戚の悪戯小僧が親父をガラス棒で突っついた。少し前のシーンから騒がしいガキが一人いるなぁ、その内こいつ何かやるのかなぁと思ってた。やっぱりやった! 親父の下腹部あたり、ギャーという雄叫び、“断末魔”CI、キャスター付き移動ベッドはみんなの手を離れて廊下を走りエレベーター脇の壁に激突。海に沈む夕日のカットが美しい。

一瞬、エレベーターのドアが開くかと思った。開いた向こうは天国への階段、雲間から洩れる光に向かってキャスター付きベッドは飛翔する、手を振る親父… さすがにそこまではやらなかった。フェリーニならそうしたか。

永吉とデッカイ腹の由佳を乗せた船が島を離れる。働けよ!と手を振る母、Bigになって帰ってくる! と永吉。 いまさらBigにはなれないだろう、でもこいつ真っ当に生きていくと思う。心のBigになれば良い。

バサッとCOでローリング。ゆるいブルース。これ誰がうたっているのだろう。書きだけでなく歌も細野晴臣なのかなぁ。ほとんどGだけ。中々渋い。

松田、前田、柄本,もたい、千葉、木場、みんな良い。最後の方にちょっとだけ出る美保純も懐かしくて良い。撮影、芦澤明子。「さようなら」「シェル・コレクター」に続いて、気になる人である。

団塊親父としては若い奴がこういう映画を作ってくれるのは嬉しい限り。

 

監督 沖田修一   音楽 池永正二  主題歌 細野晴臣