映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2019.6.20 「泣くな赤鬼」新宿バルト9

2019.6.20 「泣くな赤鬼」新宿バルト9

 

高校野球の監督(堤真一)と教え子ゴルゴ (柳楽優弥)、ゴルゴは妻 (川栄李奈) と幼い子供を残して癌で死ぬ。典型的な泣ける映画である。今だったらパワハラで訴えられる様な、かつてシゴキと言われた一歩手前の強権的な指導とその根底にある教師と生徒の信頼を描く。

 

かつて小渕 (堤真一) は甲子園有力校城南工業で赤鬼と恐れられていた。赤鬼先生は、自信過剰と自己顕示欲の塊の様な生徒をみんなと一緒に生きるチームプレイヤーにすることが野球部監督の教育と考えている。有力野球部にはそんな奴らがかき集められていた。斉藤通称ゴルゴ(柳楽優弥)はその典型だった。しかし途中でゴルゴは簡単に野球を諦めてしまう。堤も甲子園出場を果たせなかった。

それから10年近くが過ぎ、今は進学校の野球部監督として腑抜けたようになっている堤と,一児の父として一人前の社会人となったゴルゴが病院で再会する。ゴルゴは癌に侵され余命僅かと宣告されていた。

 

ゴルゴの高校時代は別の役者が演じる。無理すれば柳楽がそのまま演じられたはず、それを敢えてしなかった。眼光の似た役者が演じている。それに合わせてライバルの和田君(竜星涼) も高校時代は別の役者が演じる。初めちょっと混乱したがこれは正解である。成長して今はかつてとは別人の様になっていることが強調される。堤だけは変わらない。人生の次のステップに行った生徒たちと、かつてと変わらない、むしろ後退していることの対比。

 

高校時代と今がランダムに入り組んで、しかも役者が違う。しかし不思議に混乱せずスムーズに見ることが出来る。この構成と編集と演出は中々のもの、音楽で色分けをしたりもしていない。

 

ひとり過去と今を通して演ずる堤は赤鬼と腑抜け教師をしっかりと演じ分ける。

息を引き取る間際の柳楽に”悔しいか悔しいか”と言いながら堤が垂らす鼻水を見て泣かない者はいないだろう。柳楽がそれに笑って答える。鋭い眼から涙が流れる。

柳楽は良い役者になった。「誰もしらない」の少年は見事に大人の役者になった。

もう一人特筆すべきはゴルゴの妻役の川栄李奈だ。なんと達者なことか。大河でもチラっと観て違和感ないなぁとは思っていたが、ここまで見事に演じるとは。地方の高校でちょっと突っ張っていて、同じように突っ張っていた柳楽とくっついて早々と子供が出来て、今はしっかり者の妻として夫を支えて、姑と同居する、それが何の説明もないままちゃんと解る。あの何とも言えない愛くるしさの中にきちんと表現されている。今、彼女でなければやれないという役が一杯あるはずだ。

堤、柳楽、川栄が一人欠けても、映画は成立しなかったかもしれない。

 

音楽は前半、ほとんど記憶にない。多分、音楽は極端に少なかったのではないか。

クライマックス、回想の群馬大会決勝、これで勝てば甲子園という試合、ここで城南は負ける。退部したゴルゴもスタンドに来ていた。ゴルゴが何かを叫ぶ (この台詞、失念してしまった)、と同時に音声オフになりノンモン、堤のUP、そこに女声をメインにした (弦も入っていたか?) 綺麗な音楽が入る。宗教的な響きさえする。それが今の病室に繋がる。この一連、編集も上手かったが、音の演出が良かった。ここだけの為に音楽はあった。

そしてローリングで竹原ピストルの歌、あんなにぴったりのエンドロール主題歌を他に知らない。細かい歌詞は聞き取れなかったが、あの声、あの声がどうしようもない運命を受け入れるしかない人間を哀しみ、癒し、応援した。あの声で涙はさらに流れ、そして少しづつ落ち着いていった。

 

監督. 兼重淳  音楽. 北城和美、北城浩志  主題歌. 竹原ピストル