映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2019.9.20「ワンス アポン ア タイム イン ハリウッド」新宿ピカデリー

2019.9.20「ワンス アポン ア タイム イン ハリウッド」新宿ピカデリー

 

映画オタク・タランティーノの蘊蓄満開の映画である。というよりも幼き頃の彼の脳裏に染みついた光景や音楽を見事に再現した幼児体験再現の映画。1969年のハリウッド、タランティーノは5歳か6歳? 何故1969年か、それはシャロン・テート事件があった年だからである。

タランティーノは1969年のハリウッドに二人の男を送り込む、歴史をちょっとだけ変える為に。送り込まれた男とは、一人はTVでスターとなるも人気に陰りが見え始めたリック(レオナルド・ディカプリオ) と、スタントマンでリックの身の回りの世話をするクリス(ブラッド・ピット) 。リックはスティーブ・マックィーンクリント・イーストウッドの様に上手く映画にシフトし損なった。それにイラつき焦っている。クリスはそんなリックの良き相談相手であり、現場でトラブルは起こすが特段の野心もなく、犬との暮らしに満足している自然体の男。

 

マックウィーンはTV「拳銃無宿」(役名はジョシ―・ランドル) から「大脱走」(1963) で見事に映画へと転身した。「ブリット」(1968) や「華麗なる賭け」(1968) では大スター扱いである。「ローハイド」(役名はロディ・イェーツ) のイーストウッドマカロニウェスタンで国際的スターとなった。

その年、アメリカでは「明日に向かって撃て」「真夜中のカウボーイ」「イージーライダー」が公開され、アメリカンニューシネマの台頭の年だった。リックはその波には組しない、言わば古いタイプの俳優だ。リックのモデルはいるのだろうか。おそらくタランティーノが作り出したキャラクター。クリスも当時撮影所周辺にいた、役者になり損ねた人などを参考にして作り出したキャラクターだ。タランティーノが愛情込めて作り出した二つのキャラが1969年のハリウッドに送り込まれる。

映画は1969年のハリウッドを、街並み、車、ファッション、映画の看板に至るまで、驚く程の忠実さで再現している (多分) 。撮影所にはそっくりさんが演じるマックウィーンがいて、ブルース・リーがいて、チャールズ・ブロンソンがいる。本当に良く似ている。「大脱走」の時はどうだっただの、「ボナンザ」「コンバット」ナポレオン・ソロ」なんて言葉が飛び交う。まるで当時の撮影所から中継しているよう。ただブルース・リーをちょっとオチョクリ気味に描いているのはおそらくタランティーノの趣味が入っている。“タランティーノの1969年ハリウッド”だから仕方ない。二人のキャラは作り上げたものだが、舞台は見た目も会話も徹底的に当時を再現していてリアルだ。

 

撮影所への行き来はクリスが運転してのデッカイ、アメ車。カーラジオが引っ切り無しに鳴っている。音楽は既成曲が殆どすべてである。次から次に耳馴染んだ曲が流れる。DJやMCも入る。これが耳から当時を作り出す。僕が一番洋楽を聴いていた頃、直ぐに曲名が出て来たもの、アーティスト名が出て来たもの、この曲何だったっけ? 脳の奥底に眠っていた記憶が何十年ぶりかで呼び起こされる。

ミセス・ロビンソン? ドック・オブ・ザ・ベイ? 夢のカリフォルニア? サークル・ゲーム? アイ・シャル・ビー・リリースト? マービン・ゲイ? ビーチ・ボーイズ? ジミヘン? ドアーズ? ジャニス? 誰か洋楽に詳しい人、この映画に流れた既成曲を一覧にしてくれないだろうか。

ひたすらガンガン流れるBGMだが、多少はタランティーノの趣味が反映されていたか。ビートルズは流れなかった? ストーンズは? ステッペンウルフは? ヘルタースケルターは何故? 夢のカリフォルニアはパパス&ママスのバージョンではなかった? ミセス・ロビンソンはイントロだけで歌前でC.O? 「雨にぬれても」(「明日に向かって撃て」主題歌. B・J・トーマス) や「うわさの男」(「真夜中のカウボーイ」主題歌. ニルソン) が流れなかったのはさもありなんと思ったけれど。重箱の隅をつつけば切りが無い。一度見なので記憶は曖昧。ただ聴覚と記憶中枢はフル回転。

 

タランティーノは視覚と聴覚で1969年のハリウッドをほぼ完璧に再現した。第一目的は達成である。

そこを舞台にしての次なる目的、その為にタランティーノはリックの屋敷をポランスキー邸の隣に置いた。「ローズマリーの赤ちゃん」(1968) がヒットしたポランスキーはそこに引っ越してきたばかりだった。

 

当時アメリカ西海岸はヒッピーであふれていた。ロスしかりサンフランシスコしかり。「花のサンフランシスコ」(スコット・マッケンジー) はヒッピーのメッカだった。ベトナム戦争に反対しマリファナを吸い、あちこちを自由に流離うフラワーチルドレン、コミューンを作り犯罪を犯す者もいた。法を犯すということに無頓着だった。集団内ではフリーセックスと喧伝され、遠い日本からそんなニュースを僕は鼻血を垂らしながら聞いていた。日本でもヒッピーまがいの若者が新宿に集まり東口広場の芝生にたむろして、そこはグリーンハウスと呼ばれていた。ヘンに何をやってもよい、俺たちは自由だ、という雰囲気が充満していた。

自然の摂理に任せると社会の維持に不都合が起きる。その為に法が必要となる。おそらく法の敷居が最も低くなっていた時代だったのかも知れない。

そんな時代背景の中でシャロン・テート事件は起きた。チャールズ・マンソンをリーダーとするカルトな集団がポランスキー邸を襲い、妊娠八ヶ月の妻シャロン・テートと居合わせた何人かを殺害した。マンソンに狂信的に従う男女は指示されたままに、ただ襲った。実はマンソンが殺害しようとしたのはポンスキーが引っ越してくる前に住んでいた人物だった。悲惨この上ない事件だった。

 

タランティーノはこれを何とかしたかった。1969年のハリウッドに少しだけフィクションを加える。襲う家をポランスキー邸の隣のリックの屋敷にしたのだ。TVの西部劇で散々人を殺してきたリック、“殺しを教えてくれた奴を殺しに行こう”この合言葉の下マンソンファミリーはリックの屋敷を襲う。そこに居たのは腕には自信のあるスタントマン・クリスとアクションスター・リック。リックもクリスも日頃からヒッピーを“クソ野郎”と思っていた。男も女もボコボコにする。リックは撮影で使った火炎放射器を持ち出して女を火達磨にする。タランティーノの怒りの凄さが解る。

騒ぎに気付いたポランスキーが隣の屋敷から出てきて、リックと挨拶を交わす。“今度、パーティーに来ませんか? ” 歴史は書き換えられた!

でもこれはSFのタイムスリップものでも並行宇宙ものでもない。かつて起きたことを遡って変えることは出来ない。映画の中だけで別の物語に作り変えた、それだけである。

もし並行宇宙があるとしたら今頃シャロン・テートは大女優になっていたかも知れない。ポランスキーも少女強姦なんて事件を起こさなかった…

ポランスキーはこの映画を見ただろうか。悪夢は思い出したくないか。でもきっとタランティーノに、“ありがとう”と言ったのではないか。

 

ディカプリオ・リックは絶えずタバコを吸い、酒を飲み、イライラしている。神経質で正直で世当たりが下手なのだ。ディカプリオはそれを上手く演じている。コマッチャクレた子役少女とのやり取りは秀逸。ただのデブではなかった。

子役少女が読んでいたのはディズニーの伝記、これには笑えた。前年がウォルト・ディズニーの45周年だったからか。このへんのタランティーノは細かい。

ブラピは、全面に出るキャラではないのだが、アピールするところはして、カッコイイ。屋根のアンテナ直しの身軽さには恐れ入る。だらしなく履くジーンズのなんと決まっていることか。

シャロン・テート役のマーゴット・ロビ―はミニスカートが似合う綺麗な女優だ。初めてメインの役を演じた映画を劇場で見るシーンは初々しく、史実を知っているからか何とも切ない。

 

音楽は全篇既成曲、ただ何ヶ所かに劇伴風のものがあった。記憶しているのは、ヒッピーの住処となった西部劇村の持ち主 (ブルース・ダーン) をクリスが訪ねる所、奥に寝ているというので止めようとするヒッピー女を押しのけて入っていく。狂暴な奴が突然襲って来るかも知れない、ドキドキのシーンである。そこにそれを煽る様にドンドンとリズム強調の音楽が付いていた。あれは過剰な説明、不要だ。折角、劇伴無しでスッキリと纏められるところ、勿体無かった。

その西部劇村の持ち主を当初はバート・レイノルズが演じるはずだったという。急逝してブルース・ダーンが代わりに演じたそう。前日に見た「ラスト・ムービースター」とどこか繋がるものがある。映画を生業としてしまった者の生き様か、業か。

タランティーノは映画オタクぶりをフルに発揮して、良い映画を作った。

 

監督・脚本. クエンティン・タランティーノ  音楽. クレジット無し