映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2019.9.26「ある船頭の話」新宿武蔵野館

2019.9.26「ある船頭の話」新宿武蔵野館

 

オダギリジョウ、初監督作品。脚本もオリジナルで自ら執筆。長い間あたためていたという。オダギリがこういうテーマに関心を持っていたことに意外な気がする。

 

 

話は近代化の波が地方へも押し寄せた明治の終わり頃か、山深い郷の渡し船の船頭トイチ(柄本明) の話である。川に橋が架かると言う。村人は喜ぶ。トイチもそれを受け入れている。新しい便利なものが入ってくれば、前の者は退場するしかない、それが流れだ。まだ近代化がもたらす歪みを知らない牧歌的な頃、便利を喜ぶ村人と退場する者の哀感だけがある。映画はその哀感を一人の船頭に集約させて描く。

 

ロケ地の選択は見事である。阿賀野川のどこからしい。岩だらけの岸に掘っ立て小屋を作り、その周りにオブジェの様に流木を置く。渡しに乗る客との会話を通して村の生活が語られる。医者がいて田舎芸者がいて橋の工事関係者がいてマタギがいる。お馴染みもいれば威張り腐るよそ者もいる。時々村の若者源三 (村上虹郎) が来て一緒に魚を釣り一緒に食べて行く。人間の生活が自然の一部として組み込まれ調和する。それを撮影のクリストファー・ドイルのカメラが四季の自然の変化を押えながら哲学的いや霊幻とも言える映像に切り取る。

 

トイチにもそれなりの過去はあった様だ。それがフラッシュでインサートされる。

川下で一家殺害の事件があり、娘だけが行方不明らしい。その娘らしい少女 (川島鈴遥) が流されてくる。トイチはそれを救い上げ、小屋で一緒に暮らすことになる。少女の衣装は朱色のモンゴル遊牧民の服の様 (衣装・ワダエミ)。 緑と青の世界に艶やかに朱色が加わる。

カメラは闇の中で寝ている少女の腕や脚を輝くように映し出す。エロティックであると同時に生命力の象徴だ。ライティングが素晴らしい。ゲスの勘繰り、トイチは老いらくの恋に走る、ではなかった。その気はあったかも知れないが、むしろ娘のような気がしたのかも知れない。

娘は凛としている。寡黙だった少女は少しずつ心を開いていく。

 

橋が出来た。渡し船を使う人は減って、村人の生活は便利になり、それと同時に人の心も変わっていった。変わった者の象徴として、羽振りの良くなった源三が、トイチの居ない間に娘を襲う。

トイチは村を捨て、娘を乗せて、川を下っていく…

 

近代化に取り残された者の哀感を描いた映画はたくさんある。「デルスウザーラ」(1975監督.黒澤明、毎度例えが古くてごめんなさい) などもそうだ。詠嘆で纏めるか、今に繋がる問題点を抽出してそこに焦点を当ててドラマ化するか、やり方は色々だ。オダギリは失われて行くものへの哀悼に焦点を絞る。かつて人間と自然が共生する、こんな調和の取れた美しい時代があったのだ。一方で近代化による恩恵が今日の世界を作り出したことは認めざるを得ない。豊かになった便利になった。そしてその行き着く先は、「戦争」であり「核」である。そこまで考えると話は大きくなるが、突き詰めればそういうことだ。オダギリはその一番初めの段階を詩的に描きたかった。だから無理してドラマチックにしない。余計な説明もしない。その思い、とっても解る。

しかし敢えて言う。この映画ほとんどテーマのむき出しだ。船頭の格好をしているだけで、ほとんどテーマを語っている。台詞には未消化の言葉が散見、“肉体”なんて言葉、僕は大いに引っ掛った。本当はこの脚本を誰かもう一人の脚本家に投げるべきだった。第三者の目を入れて映画的芳醇を作り出すべきだった。もっとドラマチックに盛り上げるという意味ではない。淡々としていて良い。ただ僕は、良い映画とは思ったが芳醇は感じられなかった。

川の精の様な少年、水の精の様に泳ぐ少女、ファンタジーの要素が時々入る。それが映画の中に溶け込んでいない。台詞も生硬だ。ここまで脚本を作り込んでいては自分での直しは難しい。思い切って他人の手に一度委ねるべきだった。他人の目を通すと気が付くことは必ずあるはずだ。面倒だがその一手間を惜しんではダメなのだ。

 

娘を乗せて下り、やがて広い川幅となる。そこにローリングが上がってくる。僕にはあの川幅はダム湖のように見えた。あそこはダム湖でも良かったのだ。さらに無粋を承知で言えば、いつの間にか海に至り、彼方に原発が見える、でも良かった。もちろん、これテーマの押し付け、オダギリの意図でないことは解っているが。

 

音楽.ティグラン・ハマシアン、僕の知らない人。ジャズのピアニストらしい。ほとんどピアノソロ、シンプルでゆっくりなメロディーをしっかりと前面に立たせて印象的。3拍子の曲4拍子の曲、口笛とユニゾンになったり、後ろにSynのVoiceを重ねたり。響きがとっても映像に合っている。この人を選んだこと大正解。

 

死んだマタギの父 (細野晴臣) を息子 (永瀬正敏) が森へ還すエピソード、土砂降りの中莚を剥ぐと細野晴臣の置物の様な顔がドカッと出た。とっても良いエピソードとっても良いシーンだったが、思わず笑ってしまった。あの顔は個性派俳優として使えるのでは。

 

監督・脚本. オダギリジョー  音楽. ティグラン・ハマシアン