映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2012.11.19「北のカナリアたち」丸の内東映

2012.11.19「北のカナリアたち」丸の内東映 

 

吉永小百合という女優は難しい。どうしようもなく文部省推薦キャラで汚れない。そしてあの低い声。だから彼女は合う役を選ぶべきである。あるいは強烈な、例えば市川崑のような演出家に強引に作り込まれるとか。実は私はかつてサユリストだった。

おそらく原作 (湊かなえ) は個々の生徒の生活や社会との軋轢が描かれ、それが最後に分校に集まって一瞬昇華する、というものだったと推測する。しかしこの企画、吉永ありき。その途端これは平成の「二十四の瞳」今回は六人だから「十二の瞳」というお涙感動ものになってしまった。もちろん製作者もそれを狙った。だったら脚本も違うし監督も違う。お涙感動物にするならそれに徹するべきだった。

今と過去とのカットバック、今の吉永とカットバックの昔の吉永に差がない。いくら若作りをしても限界がある。細かいカットバックは今と過去を解らなくする。そこに川井郁子の音楽が、過去になるとお決まりのように流れる。

音楽・川井郁子。バイオリニストで自分のアルバムでは曲も書いているが、映画音楽の作曲家ではない。だから映画音楽ではなく、ただ曲を書いている。哀しい曲。楽しい曲。どれも絵面に合わせての曲。それは映画になんの貢献もしない。逆に過去になると同じように入ってくる音楽は感情の流れを阻害する。

クレジットに編曲で、安川午朗の名があった。映画音楽になっていないので、オーケストレーションに難ありなので、急遽助っ人したか。どうせ指すならもっとオケを書ける人にすべき。安川、相変わらずのチェロや木管ソロや小編成オケ。この人センスは悪くないから、「八日目の蝉」の時にはその小編成が見事にはまった。今回ははまらなかった。せめてちゃんとしたオーケストレーションで強引に包んでしまえば。

映像で2箇所、保育園で吉永と宮崎あおいが抱き合う所、へんなOLで次のカットは吉永が消えている。画面中央の不可解なOL。ならば抱き合う二人の次に強引に横切る車、そして木の陰から見つめる宮崎、にする方が良かった。あれは誰の指示か。もうひとつ、煙突から落っこちる森山未来、そのストップモーション。ヘンテコである。

この監督には元々不向きな題材、岡田祐介プロデューサー、吉永小百合、カメラマン木村大作、船頭多く現場は大変だったんだろうなぁ。

川井郁子は優れたバイオリニストである。が、映画音楽の作曲家ではない。

監督.阪本順治 音楽.川井郁子 (なんとこの作品で日本アカデミー最優秀音楽賞)