映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2019.6.03 「コンフィデンスマンJP」 TOHOシネマズ新宿

2019.6.03「コンフィデンスマンJP」TOHOシネマズ新宿

 

TVドラマの映画化であることを全く知らず、最近輝きだした長澤まさみへの興味から観た。そして「スティング」や「オーシャンズ11」の様なコンゲーム物、邦画では無理なんじゃないかなぁと思いつつ…

結論から言うと、やるじゃん! 中々! である。

 

脚本 (古沢良太) が良い。TVを観ていない僕は素直に話を信じ、それが裏切られて、その内慣れてくると、あっ、これ仕組んでるなと解る様になってきて、それをも越えてどんでん返しがあった。やられた! である。最後の種明かしも説明臭くなくスムーズスマート。小ネタの回収も要領よい。ラストの掃除する氷姫は笑ってしまった。眼にハメたダイヤはもっとあざとく光らせても良かったか。

 

僕は何より役名が好きだ。“ボクちゃん”はまあまあとして、“ダ―子”は良い。あの役、ダ―子という役名がついて一気に膨らんだ。楽天的で行き当りバッタリ、騙すけど憎めない、でも本当は緻密で仲間思いで純真さが残る、長澤と“ダー子”という名がめぐり逢って素晴らしいキャラが生まれた。ハ二―でもヨーコでもター子でもない。ダ―子だから膨らんだ。これはきっと長澤の代名詞になる。

そして“リチャード”(小日向文夫)、僕はこの名前、とっても好きだ。ジョンでもポールでもチャーリー (これも悪くはないが) でもない。リチャードである。理由も理屈もない。僕はあの役をリチャードと命名した感性が好きである。

ダ―子とリチャードと聞いて、この映画は面白くなると思った。

 

長澤の七変化は楽しい。役者ではなくなってしまう、あの100%笑顔 (福田彩乃がやるやつ) もこの映画ではコントラストになって気にならない。「海街ダイアリー」(拙ブログ2015.6.18) 以降、立派な女優になった。蒼井優黒木華二階堂ふみや、そこに居るだけで存在感のある女優の中で、容姿は圧倒的なのだが、居るだけではただ綺麗で健康的ですくすく育った女の子でしかなかった長澤まさみ

大河ドラマ功名が辻」(2006) で確か女忍者の役で2~3回出た時、驚いた。コマとして使われる忍び、笑顔は一つも無い。暗い。これが良かった。長澤を笑わせてはいけない。笑わない長澤が見事に開花したのが「散歩する侵略者」(拙ブログ2017.09.11)、侵略する宇宙人に人格を乗っ取られた主人公 (松田龍平) の妻という役。人類滅亡の危機の中で種 (人類?) を越えて愛し合うというかなり無理筋の役を笑わない長澤は見事に演じ、無理な設定にリアリティを与えた。凄くなったなぁと思った。

嘘を愛する女」(拙ブログ2018.2.07 ) は映画も長澤も今一つだった。

「マスカレードホテル」(2019.1月) ではしっかり者のホテルウーマンを演じ映画を支えていた。美男美女ではなく美男美女優である。話がそれるが「マスカレード~」長澤とともに映画を支えたのは音楽 (佐藤直紀) である。初め分厚い弦の音楽がやたらベタに付いていて暑苦しい、もっと削れ! と思った。しかしあの音楽が無くなったらゴージャス感が無くなってしまう。長澤と音楽が無くなったら、マスカレードホテルはビジネスホテルになってしまっただろう。「散歩する~」も「マスカレード~」も笑わない長澤が存在感を発揮した映画だった。

「キングダム」はまだ観ていない。

そして「コンフィデンス~」、笑う長澤、寡黙な長澤、弾ける長澤、どれも楽しそうにのびのびと演じている。何より演じている楽しさが伝わって来る。立派な女優になったものだ。

 

冒頭NYのシーン、結婚詐欺師ジェシー (三浦春馬) との本気か嘘か愛の日々。ド頭である。これは歯が浮く位綺麗なシーンにしてほしかった。予算を気にせず言えばNY夜景の大ロング、そしてこれ以上無いくらい長澤を綺麗に撮って欲しかった。コンゲーム物、ゴージャスでカッコよく所々にこれ以上無いくらいの綺麗なシーンが必要なのだ。映像的にも綺麗に感じなかった。導入はアップより大ロングで入って欲しい。ゴージャスに。

 

所々にボサノバの歌物が入る。オリジナルなのか既成曲なのか。充て方がとってもセンス良く映画をオシャレにしている。

 

東出 ”ボクちゃん” は決して上手くはない演技が逆に”ボクちゃん” の純真さ (詐欺と矛盾するが) を表わしている。小日向は、優しくソフトな語り口で冷静に全体を見ているジェントルマン風、しかしどこかではしっかり騙している?、でもダー子とボクちゃんには溢れる愛を抱いている、やっぱりこれはリチャードである。

 

舞台が変わるトップシーンは空撮 (ドローン?) で入って欲しい。これぞ香港という画。007は必ず空撮で入る。そして音楽は大編成の生オケで。Synでそれなりの音楽が付いていたが、こういうところは生オケだ。

劇伴は定番のところに入り手堅い。ただ一つ明解なテーマが欲しい。明解なダー子のテーマがあれば、余計な説明は不要になる。音楽による見せ場、聴かせ所がほしい。

 

結婚詐欺師ジェシーの三浦、前半超二枚目後半無様が良かった。三浦、見直した。

ダ―子の弟子モナコ (織田梨沙) 、熱演もしていたがこれは儲け役、こんなイイ役滅多にない。ジェシーモナコも、ネーミングが良いなぁ。

五十嵐 (小手伸也) が時々ちょろちょろして可笑しい。この役者知らなかった。「検察側の罪人」(拙ブログ2018.09.13) の酒匂芳といい、良い役者が年を経てからブレイクするのは嬉しいこと。二人とも「集団左遷」(TBSドラマ) に出ていた。

 

エンドロール後のお遊びも気が利いている。カメオ出演もさりげなくて可笑しい。監督のセンス良い軽さが心地よい。こんな遊びをやらせるプロデューサーのフットワークの良さが伝わって来る。そんなこんなを含めた製作現場のノリが伝わって来る楽しい映画。

第二弾が決定したとのこと。このノリを守り続けてほしい。

製作費を削ることなく、よりゴージャスに。そして音楽も生オケを使ってゴージャスに。期待しています。

 

監督. 田中亮  音楽. Fox capture plan   主題歌. official髭男dism  

2019.5.06 「岬の兄妹」 イオンシネマ板橋

2019.5.06「岬の兄妹」イオンシネマ板橋

 

兄・良夫 (松浦祐也) は足が不自由、妹・真理子 (和田光沙) は知的傷害、そんな兄妹の底辺の生活。母はどこか遠くへ逃げてしまったらしい。ボロ家は段ボールで窓をふさぎ外から遮断されている。兄が働きに出る時はそこに妹を閉じ込める。時々妹は “冒険” と称して抜け出し街を俳諧する。

映画は夜 “冒険” に出たマリコを捜すところから始まる。“マリコ! マリコ! ”  びっこの揺れをそのまま反映したような手持ちカメラが生々しい。そしてヤクザ映画のタイトルの様な毛筆殴り書きで画面一杯に『岬の兄妹』と出る。音楽も同時に暴力的に入る。Pf、打楽器、アコーディオンによる打音、殴るように入って痛い。音量もデカい。

 

兄が傷害を理由に建設現場 (?) を解雇され収入が無くなる。電気は止められゴミの中から食べられるものをさがす。悲惨この上ない。

“冒険”から帰ったマリコが金を持っていた。やがて妹に売春 (オシゴト) をさせるように なる。

売春で稼いだ金で食べ物を買い、二人は貪り食う。窓に貼り付けていた目隠しの段ボールを取っ払い、外から光が差し込む。まるで反社会的なオシゴトを通して社会に居場所を獲得した様だ。幼馴染の普通に良い人・溝口 (北村雅康) が心配する。

自分で脱糞してその糞を喧嘩相手に投げつけたり、妹の陰部に薬を塗り乍ら“少しオシゴト休んだ方がいいかもね”と言う。悲惨を通り越して笑ってしまう。髭ずらの兄のキャラクターか、売春を“オシゴト”として楽しんでいる風な妹のせいか。

裸とセックスは頻発するが不思議とエロティシズムは感じない。生活描写の延長として描いているからか。

おそらく行政には様々な救済の手立てがあるはずだ。でもそういう問題ではない。自分たちの生き方を見つけたのだ。だから暗くない。前向きだ。

 

手持ち、俯瞰、ローアングルで引いていく砂浜のカット、ワンカットの中で相手の男が次々に入れ代わっていくセックスシーン、海辺の雲間の太陽、心に残るカットが幾つもある。凝った撮影、削ぎ落とした早いテンポの編集、これらと二人の役者のアッケラカンとした明るさ、殴るような音楽が、この悲惨極まりない話を映画たらしめている。大きな事件が起きる訳でもないが、グイグイ引っ張られて飽きることがない。

 

時々マリコが水の中で泳ぐシーンが入る。

マリコと初体験をした高校生が “海の香りがしました。生きているといいこともあるんですね” (?) なんて清々しい台詞を言う。マリコは水の精? あるいは比丘尼?  岬の突端の祠に住み、夜な夜な求めに応じて快楽を与えにいく…、神話的な匂いさえする。

最後の振り返ったマリコの顔、あれはまるで実は正気なんですよ、と言ってるようにも見える。

 

マリコが妊娠した。兄が、マリコの馴染みの客となった小人に、マリコと結婚してくれないかと頼む。“僕だったら結婚すると思ったんですか?” と返って来る。弱者同志でツルもうとした、あれは良夫への強烈な批判だ

 

妊娠したマリコはどうなるのだろう。オシゴトも出来なくなる。いずれ “普通“ から制裁を受けるのだろう。映画は今を描き先は語らない。

 

音楽は少ないがどれもデカく殴るように入る。カットインのインパクト、尻はブツ切り。Pf中心。怒りにまかせて叩きつけるように弾く。客引きのビラが舞う唯一ファンタジックなシーンにはPfの早いフレーズ。エンドロールだけは静かな前衛ジャズっぽい。

音楽が入ると映画の重い世界との間に距離が生まれ、詩情が漂う。

 

これは岬の突端に住む兄妹の “普通“ へ反旗を翻す映画だ。メインタイトルの手書きの文字は “普通“ に喧嘩を売っているのだ。殴るように入る音楽もしかり。

「湯を沸かすほどの熱い愛」(拙ブログ2016.12,20) の終わり近くに入るバカでかいタイトル文字と、それに合わせて入るEGのデカい音を思い出した。この映画のタイトル文字も音楽も充分デカい。しっかりと喧嘩を売っている。“普通“ の人からのお情けはいらない。勝ち目はないかもしれないが、俺たち兄妹はしっかり生きてやる! そんな映画だ。

 

無名の役者たちが演技を越えて役になり切っている。メジャーでは考えられない手間暇掛けた丁寧な作り方をしているらしい。製作費も自前とのこと。志の高い、でもちゃんと面白い映画である。

 

監督. 片山慎三    音楽. 高位妃楊子   挿入歌. 佐藤玖美

2019.5.08「記者たち 衝撃と畏怖の真実」TOHOシネマズ・シャンテ

2019.5.08「記者たち 衝撃と畏怖の真実」TOHOシネマズ・シャンテ

 

アメリカがイラクを攻撃した理由として大量破壊兵器保有があった。後で解ったが、実はデッチ上げだった。初めにイラクとの戦争有りき。ラムズフェルトを中心にそのシナリオに則して情報が都合良く並べられていく。オサマ・ビン・ラディンフセインは裏でつながっている、大量破壊兵器はあるに違いない、それを裏付ける様な事実だけをチョイスして並べた時、“かもしれない”はいつの間にか確信へと高まり、世論は一気にその方向へと流れて行く。TVの三大ネットワーク、ニューヨーク・タイムス、ワシントン・ポストクリントン民主党議員も、イラク攻撃すべし! に流れた。一旦出来てしまった流れを変えるのは難しい。最後まで反対したパウエルも遂に国連で攻撃支持の演説をする。

煽られた若者は軍隊に志願する。いつも庶民は単純な愛国心に燃える。それは戦場に行くということであり、殺し殺される世界だ。国を思う気持ちと他国民を殺し殺される現実には大きな乖離がある。映画は冒頭、志願しイラクへ行き、脊髄を損傷して今は車椅子の若者が裁判で “なぜ戦争をしたのか?” と問うところから始まる。

アメリカには自分たちの民主主義が全世界の人々を幸福に導く最良のシステムであると本気で思っている人がいる。我が民主主義を拡めねばならない。中東全域のイスラエル化? その背後には産軍複合体としてのビジネスがあり石油がある。理念と利害が複雑に絡み、そこに2001年、9.11 が起きた。そこからは雪崩を打つ。

“なぜ戦争をしたのか?”の問に映画は政治や経済や理念や国際情勢といったロングの視点からではなく、身近なヨリの視点で答えようとする。具体的には二つの問題に絞る。政権が嘘をついている。それによって自国の若者が死んでいく。イラク側の視点は無い。これはアメリカの映画だ。アメリカが自らの過ちを認める映画だ。

 

地方紙へニュースを配信する会社ナイト・リッダー社のジョナサン・ランデ― (ウッディ・ハレルソン) とウォーレン・ストロベル (ジェームズ・マースデン) が政府発表のニュースに疑問を抱く。本当だろうか。二人は裏を取る為に取材を始める。ニューヨーク・タイムスやワシントン・ポストなら大物政治家への直接取材が可能だが、彼らにはその伝手がない。下級職員や下っ端への取材だけだ。結果を支局長 (ロブ・ライナー) に上げると、これではまだ確証には至っていない、と突き返される。

時々二人の家庭生活が入る。ジョナサンはバツイチ、隣に越してきた美人学者が気になっている。ウォーレンは妻 (ミラ・ジョボビッチ) に取材案件を話すとこの家盗聴されているかも知れないと騒ぐ。彼女は旧ユーゴ出身なのだ。

政府の発表にはニュースフィルムを使っている。ブッシュもラムズフェルドもパウエルもそのまま本人だ。イラクのニュースも実写である。政治の決断で多くの若者を死に至らしめた、他国に介入する悪しき前例としてベトナム戦争のフィルムも挿入される。

取材する二人、家庭、ニュースフィルムが絶妙なバランスで配置され、本物の政治家をほとんど役者扱いで取り込んでいる。展開は早い。追い切れない。一つ一つの事実を暴いていくのだが、こちらがそれをちゃんと理解して、遂に全体の嘘が解ればより面白いのだろうが、老人 (私?) の視力と理解力では追いつけない。でも踊らされる世間の流れに、それは嘘だと言い続けるナイト・リッダー社の熱と使命感は解る。それで良い。

多くの証言を得て、支局長が、“よし、これで行け”とGoサインを出した時は、時既に遅し、世間はイラク攻撃一色に染まり、この配信を記事化する地方紙は一つも無かった。

苦い終わり方である。最後に“イラク攻撃の理由がデッチ上げと言い続けたのはナイト・リッダー社だけだった” (不確か、そんな意味) というテロップが流れる。

 

音楽は取材の進行に合わせてサスペンスを盛り上げかなりベタ付け、ドラマに合わせてグイグイと引っ張って行く。今風のエンタメ映画の音楽としては王道、職人技である。しかし音楽の効果もあってかあまりに一直線。途中自分たちの取材に対して疑問は起きなかったのか、社内は果たして一丸となっていたか、政治的圧力は無かったか。出来ることなら音楽を全部外して観てみたかった。そこに一直線ではない微妙なニュアンスが立ち現れたかも知れない。

音楽を付けることによってより分かり易く明解になり、でも単純化される。そうしなければ持たない映像ならともかく、これは音楽で引っ張って行かなくても充分持つ。ハリウッド流、解り易く作ることも必要だがモノによっては観る側に考える余地を残すことも必要なのではないか。

そう言えば「スポットライト 世紀のスクープ」(拙ブログ2016. 5.12) もマイナーなPf曲がベタについて感情を規定してしまっていた。真実追及一直線のところはよく似ている。どちらも音楽外したらきっともっと良くなった…

 

支局長が監督自身であることを観終わって知った。中々の名演。缶コーヒーの宇宙人(トミー・リー・ジョーンズ) が気骨あるベテラン記者でちょっとだけ登場して渋い。

 

世論は作られる。大衆は感情的情緒的で雰囲気に左右される。今政治はかつてより世論を気にするようになった。上手く世論を操作すれば政治的力となる。世論作りで大きな力を持つのがマスコミだ。しかし今TVは大衆迎合ウケ命、世論に合わせて行くメディアでしかない。かつて世論形成に大きな力を発揮していた新聞はネットに押されてマスコミの主役の座から追われつつある。ネットはどうか。新聞雑誌の記事をつまみ食いして面白おかしく流す、ブログもツイッターも思いつき瞬間芸ウケれば何でも良いの世界。ペラッペラで底の浅いツイッター政治家が蔓延している。言った者勝ちの世界。そこで作られる世論なるものは一体何なのか。

イラク戦争 (2003) は何年前だったか。でもこの映画で感じることは何よりまだマスコミ、新聞というものが世論形成に責任と力を持っていたということだ。“あの頃は良かったなぁ“ である。でも、こういう映画が生まれるアメリカ、まだ捨てたものではない。

 

監督. ロブ・ライナー  音楽. ジェフ・ビール

2019.5.07 「麻雀放浪記 2020」 渋谷TOEI

2019.5.07「麻雀放浪記2020」渋谷TOEI

 

阿佐田哲也の「麻雀放浪記」は夢中になって読んだ。和田誠の映画 (1984) も大好きである。高品格の出目徳は絶品だった。それが2020年にタイムスリップして甦るという。しかも監督は白石和彌、期待してしまった。

1945.11月、坊や哲 (斎藤工)、出目徳 (小松政夫)、ドサ健 (的場浩司)、女衒の達 (堀内正美) が大勝負をして、坊や哲が九蓮宝燈の五筒を積った瞬間雷が落ちてタイムスリップ。2020年、突然戦争が起きてTOKYOオリムピックが中止になった直後の浅草に五筒を握りしめたまま現れる。第二次大戦が終わって焼野原と化した東京、思いもよらぬ戦争でオリムピックが中止になった2020,年の東京、どちらも同じような状況と台詞で説明がある。でも2020年の東京、焼野原になっている訳ではない。焼野原になって放射能で汚染されているのかも知れないが、そういう映像はない。ひと気は少ないが浅草路地裏は今と大して変わらない日常である。「ブレードランナー」の様なビチャビチャとした路地ではなく、どこかのんびりした下町の路地。直前に戦争があった? あるいは今戦争中? そんな気配は微塵もない。

回想の1945年はチープなセットとCGだがそれなりの安物リアリティはある。2020年の舞台は言葉だけの説明。戦後のアナーキーを引き摺ってテンション高く登場した斎藤工、今がどういう時代かということが定まっていないから、本当の勝負をしたいというハイテンションは空回り。出会った麻雀メイド喫茶のドテ子 (チャランポランタン・もも) もマネージャー・クソ丸 (竹中直人) も熱演するも同じく空回り。

バーチャルリアリティーを使ったシマウマFACKとか幾つか笑えるアイデアはあるのだが何せ話のベースが出来ていないので単品のコントでしかない。

そして中止になったオリムピックに代わって世界麻雀大会である。

チープさと馬鹿馬鹿しさは嫌いではないが、このイイカゲンは楽しめなかった。

番組に穴が空いて急遽デッチ上げの企画か。火事場泥棒的瞬発力で、熟考した企画よりも生き生きとしたものが出来ることはある。今、邦画でそんな瞬発力を期待出来るのは東映だけかも知れない。しかも白石監督、ハチャメチャ珍品を期待したのだが…

まさかこれを長い間温めて来た企画なんていわないでしょうね。

ピエール瀧問題でクソ同調圧力に屈せず公開したことは良し。でも作品はちゃんと作らなくちゃ。

 

アンドロイド・ベッキーが良かった。演技以前のあのルックスが生きていた。エンドロールの後のターミネーターもどきのオマケ、あれはオッパイがバカッと開いて麻雀パイがパカパカ飛び出す位してほしかった。

ドテ子、初めははるな愛かと思った。熱演でありD級地下アイドルくらいの感じは出ていた。エンドロールでチャランポランタンのももと知って驚いた。「ゴジラ伝説ライブ」(拙ブログ2017.09.15参照) の時、モスラの妖精役を彼女たちがやっている。何度もステージでは見ているが、声とアコーディオンは解っていたが顔は認識していなかった。TVドラマにも出ているらしい。芝居経験はあったのか。今後役者もやっていくのだろうか。

 

音楽、映画を観てから大分経つのでほとんど記憶に残っていない。主題歌も同様。多分良くなかった? 良くない映画で音楽だけが良いなんてことはまず無い。

 

 

監督. 白石和彌   音楽. 牛尾憲輔   主題歌.CHAI

2019.2.27「翔んで埼玉」バルト9

2019.2.27「翔んで埼玉」バルト9

 

漫画は「ゼロマン」(作.手塚治虫 少年サンデー 1960) を最後に読まなくなった。それまでは少年雑誌の漫画はほとんど読んでいた。突然、画が動いて見えなくなったのである。 

今でも漫画とアニメとミュージカルは嫌いだ。でもそれ以降で読んだ漫画が二つだけある。一つは「火の鳥」、そしてもう一つが「翔んで埼玉」だった。友達に、“いいから読め! ” と言われて。

あまりのブッ飛びように驚いた。何じゃ?こりゃ! そのオチョクリ (今はディするというのか) ようは当時としては衝撃だった。兎に角笑えた。けれど真面目な僕は笑いながらもその奥にアパルトヘイトを見てしまった。深読みの真面目人間だった。スパイク・リーの映画がヒットしていた頃の話である。

時は流れ時代は変わり、世界は変わり日本も変わり埼玉も変わり、僕も変わった。埼玉にも僕にもオチョクリを素直に笑う余裕が出来たのだ。誇張する、その誇張の仕方を楽しめるようになった。そこにセンスを感じるようになったのだ。

 

原作の細部はほとんど覚えていない。虐げられた埼玉県民を救う英雄の話をカーラジオから流れる話にして、それを今の埼玉県民の夫婦 (ブラザートム麻生久美子) と娘 (島崎遥香) が聴く。上手い脚本化である。かつての英雄とは麻美麗 (GACT) であり、壇ノ浦百美 (二階堂ふみ) であり、埼玉デューク (京本政樹) であり、チバニアンの阿久津翔 (伊勢谷友介) である。

彼らは東京人による埼玉県民への差別と通行手形の撤廃を掲げて、埼玉解放戦線を組織して戦った。そんな辛い歴史があったんだと夫婦は涙する。娘はシラケる。

隠れ埼玉狩り、草加せんべいの踏み絵、伝染病サイタマラリア等、抱腹絶倒のアイデア満載。

共に虐げられながらも対立する埼玉と千葉。江戸川を挟んでの対峙。合戦となるのかと思ったら、昇りを立ててのお国自慢合戦。千葉が最初に立てた昇りがYoshikiだったのにはひっくり返った。そのたんびに、GACTと伊勢谷がコメントする。千葉のアルフィー・高見沢にGACTは “ウッ、嫌いじゃない”、千葉の小倉優子に伊勢谷が “弱い!” 他を思い出せないが、どれも気が利いていて笑い転げてしまった。

埼玉内でも浦和と大宮の対立がある。熊谷、あれは半分群馬だ。千葉は東京でもないくせにやたらとTOKYO何々と付けたがる。千葉の東京属国化。でも海があるんだよなぁ。

 

僕は今、半分秩父で生活している。秩父がほとんど出てこなかったのは残念だった。自慢合戦で「この花~」のアニメの昇りでも立ててほしかった。GACT “あれは何だ?” “秩父を舞台にしたアニメです” “知らん!” あるいは秩父夜祭の昇り“どうだ、世界遺産だぞ!”

 

映画は対立した埼玉と千葉が手を組み、都庁を囲み、通行手形で私腹を肥やしていた都知事を弾劾して勝利する。都知事赤城山の奥に金塊をため込んでいた。赤城山の黄金伝説である。でもこの悪事、あまりに単純過ぎる。もう少し手の込んだものに出来なかったか。東京に対し、五県 (神奈川は東京に付く) が関東連合を作り都庁を取り囲む、そんな構図に出来なかったか。

 

GACTが良い。GACTはGACTのまんまで演じていて、それが良い。この人はこれからもGACTのまんまで演じられる役だけをやるべきだ。大河ドラマ上杉謙信役の時もそれでとっても良かった。優しさ溢れる上から目線。少し鼻にかかった、でも口跡の良い声、そして立ち姿がカッコイイ。伊勢谷は色んなキャラを演じられる。GACTはGACTしかやらない。それで良い。それがこの映画ではピタリとはまっている。

実は二階堂ふみの設定にちょっと違和感があった。原作は男なのかも知れないが、映画では男装の麗人で、最後に女であることを明かすのかと思っていた。二階堂ならではのブッ飛び様で熱演なのだが、どう見たって女にしか見えない。最後に告白して、“そんなの最初のキスでわかっていた” あたりがオチかと思っていた。最後まで無理なボーイズラブで終わったのはちょっと残念だった。

 

この監督はクラシックに造詣が深いようだ。「テルマエ・ロマエ」でもクラシックを随所に充てていた。この作品でもそれをしている。あるいはクラシックに似せたオリジナルかも知れない。その辺、僕の素養では判別出来ず。ただ音楽のテイストはクラシック音楽である。おそらく絵合わせでの録音ではなく、選曲で充てているのだろう。話が作り物なので大仰な音楽は合う。

 

世界埼玉化計画、ラストカットはドラクロワの「民衆を導く自由の女神」のパロディにしてほしかった。旗を掲げ胸を肌けて民衆を導く二階堂女神。

GACT “Oh! 貧乳”

 

エンドロールの“はなわ”の主題歌で、もうひと笑い出来る。

 

埼玉とは、“差別からの解放と自由” である。

 

監督. 武内英樹  音楽.Face 2 fake  主題歌.はなわ

2019.3.02「THE GUILTY ギルティ」ヒューマントラスト渋谷

2019.3.02「THE GUILTY ギルティ」ヒューマントラスト渋谷

 

耳にインカムを付けた緊急通報室オペレーター・アスガー (ヤコブ・セ―ダ―グレン) のみを映し続けるカメラ。舞台も緊急通報室のみ。しかも焦点はアスガーだけに絞られている。

 

一本の通報が入る。女は名前も場所も言わない。息づかいの様子から、ただならぬ様子を察知する。誘拐かも知れない。傍の、人の気配は犯人か。気付かれないようにこちらの質問にイエスかノーだけで答えよ。車の色は、赤? 青? 白? イエス、セダン? ノー、ワゴン? イエス。大よその位置は掛けて来た携帯電話で自動的に解るようだ。別の回線でパトカーを手配する。

普通はここで画面は誘拐された女に切り替わる。通報室のアスガーと疾走する車中の女が交互に映し出され、サスペンスはイヤが上にも盛り上がる。通報室の静と走る車のなかの動。

ところがこの映画は普通じゃなかった。画面はひたすらアスガーをUPで映し、女の様子は電話の音声でしかわからない。アスガーと我々は全く同じ状態だ。女の背後に聴こえるノイズで状況を推測するしかない。こんな映画ってあるのか。嫌でも聴覚は集中する。その内こちらの想像力が働きだす。ヒントとなる音を聴き逃してはならない。真剣勝負だ、疲れる。

カメラを止めるな! ではない。電話を切るな! でも時々電話がバサッと切れる。犯人が電話に気付いたか。このカットアウトは怖い。

少しずつ状況が解り、女の自宅を突き止め、そこに残されていた子供と話す。犯人は女の夫らしい。おぼろげながら全体像が見えてくる。それはアスガーの想像であり我々の想像でもある。画面は相変わらずアスガーの表情と、状況に合わせてパトカーの指令室に連絡するアスガーの電話交換手の様な動きだけ。もう我々の緊張と想像力はパンパンである。広い画や動きのある画なんて一つも無い。通報室のみを映すだけでこれだけのことが出来るのだ。映像ではなく、音が語る映画ってあり得るのだ。

 

アスガーと我々の想像は後半見事に裏切られる。我々の想像力は先入観の範囲でしかなかった。映画は先入観を越えて鮮やか、脚本の勝利である。

 

 

僕はネタバレを全く気にせずこのブログを書いている。しかしこの作品に限り、これ以上の詳述は控える。まだ公開して間もない。おそらく「カメ止め」ほどではないにしても公開館数は拡がるだろう。この展開と結末は劇場で直接体験してほしい。

 

ポップコーン食べながら一時現実を忘れることが出来るのも映画、社会の歪みを映し出してそれを考え怒るのも映画、色んな映画があって良い。しかしリラックスする為に映画を見る人には勧めない。ポップコーンを音立てて食べる人は入場を拒否すべきである。途中入場もNGだ。ガサガサした足音が集中する聴力の邪魔になった。

 

ここまで、台詞というよりも音というものを中心に据えた映画を他にみたことがない。音にこんな可能性があることを知ったのは目からウロコである。

ツブ立ちの車の音とか銃声とか、そういうあざといものではない。バックノイズ、息づかい、人間の動きが発する些細な音が、こんなに映画の中心になるとは。

 

音楽はエンドロールだけである。教会のオルガンの様な音、それがゆったりと長い音符を奏でる。宗教がかっている。そういえば最後のアスガーの後姿のシルエットはちょっと神性を感じなくも無かった。この辺を詳述するとネタバレになるので止める。

前半で女の声の背後に薄っすらと音楽が聴こえていたような気もするが不確か。

 

意識しなかったが映画の時間と現実の時間は同じだっただろうか。

 

監督. グスタフ・モーラー  音楽. オスカー・スクライバー

脚本. グスタフ・モーラー、エミール・ナイガード・アルベルトセン

2019.2.14 M・I グランプリ 2018

2019.2.14 M・I グランプリ 2018

 

昨年は邦画25本、洋画13本しか観ていない。これでグランプリを選ぶのは気が引ける。それでも僕が昨年劇場で観た映画、というカッコ付で敢えて強行する。評価の高かった「きみの鳥はうたえる」「孤狼の血「斬」等は未見。今年に入り「菊とギロチン」を観られたのは良かった。

 

音楽賞 世武裕子 「日日是好日」(拙ブログ2018.11.09)

しっかりとしたメロディを持つ映画音楽。しかもドラマの世界を冷静に見つめ距離を置いている。画面にきちんと合わせて付けられていて、動きの少ない映像に躍動感を与えている。世武裕子の個性が全面開花した。音楽家にも監督にも幸運な出会い。

 

作品賞 「万引き家族」(拙ブログ2018.7.02)

是枝監督は「海街ダイアリー」「そして父になる」あたりから作家性と商業性のバランスを上手く取るようになった。そのバランスが見事に結実した作品。今の日本の社会が抱える問題をしっかりと捉えつつ、エンタテイメント作品としても一級品と成し得た。この作品についてはビジネスの側からも作家性の側からも文句は出まい。今年の邦画の様々な性格を持つ映画賞の多くが集中するだろう。色々な考えの人が観ても感動する作品が映画の本流。捻ったものよりここは素直に本流の作品に賛辞を贈る。

 

監督賞 瀬々敬久 「菊とギロチン」(拙ブログ2019.2.02)

是枝監督と迷ったが、すでに海外も含め多くの賞を獲得しているので、ここは瀬々監督とする。長い間企画を温め、ついに実現にこぎ着けたという、その粘り強さも含めて。女相撲とギロチン社という水と油の様に見える素材を見事な力技で一つの骨太な作品に仕上げた。誰が見ても面白いエンタテイメント。公開が小規模なのが残念である。

友罪」も良い作品とのこと。未見なのが残念。

 

脚本賞 相澤虎之助 (空族) 、瀬々敬久 「菊とギロチン

空族という集団 (2人?) はどんな人たちなのだろう。音楽の知識が半端ないのは「バンコクナイツ」(拙ブログ2017.03.31) で証明済み。何よりその視点が日本を越えてアジアなのだ、それも極自然に。邦画をこんな視点で作る人たちを僕は他に知らない。相澤を脚本家として入れたことにより、「菊とギロチン」は国境を越えた映画になった。相澤を選んだ瀬々監督の選球眼が素晴らしい。

 

主演男優賞 該当者無し

敢えて言えば「万引き~」のリリーフランキーだが、リリーは「SCOOP」(拙ブログ2016.10.14)のチャラ源の方が僕は好きだ。

 

主演女優賞 門脇麦 「止められるか、俺たちを」(拙ブログ2018.10.15)

門脇が演じためぐみの様な女はあの頃確かにいた。あの時代を生きた者としてシンパシーを込めて門脇とする。次点は「日日是好日」の黒木華。「万引き~」の安藤サクラ

 

助演男優賞 新井浩文 「犬猿」(拙ブログ2018.2.24)

糞真面目な窪田正孝の、ムショ帰りの真逆の兄貴役。デリヘル嬢の間ではちょっと知られていると豪語する。それを新井は実際にやってしまった。“罪を憎んで人を憎まず”がこのケースに当てはまるかどうかは解らない。だが映画の公開見送り、出演作品のDVD化中止は、あまりに過剰反応だ。映画やドラマには刑務所帰りは沢山出演している。お裁き下った後の役者新井の復帰を熱烈に要望する。

犬猿」での柿の種入りチャーハンの、味に芯が出来た、を今でも思い出し笑いする。

それにしても良識ある世間様の同調圧力は一体何なんだ!

 

助演女優賞 樹木希林万引き家族」「日日是好日」「モリのいる場所」(拙ブログ2018.10.01)

寄せ集め家族の精神的支柱、お茶の先生、仙人の様な画家の妻、三者三様見事に演じて、しかもみんな樹木希林。演じてさっさと旅立ってしまった。もしこの人が居なかったら、三作とも成立しなかった。お見事!

 

新人男優賞

これと言った人、思いつかず。

 

新人女優賞 木竜麻生 「菊とギロチン」「鈴木家の嘘」(拙ブログ2018.11.29)

新人ではなく、主演女優にしようかと迷った。それくらい花菊に成り切っていた。良く見りゃ美形なのだが、田舎から逃げて来た、どこかもっさい感じを良く出していた。「鈴木家~」では兄の自殺を延々と語る長回しを見事に演じていた。文句なし。 

次点、「犬猿」の江上敬子(ニッチェ)。ブスで真面目な姉を演じて大したもの。経験を積めば良い役者になる。

 

外国映画賞 「スリービルボード」(拙ブログ2018.2.09)

脚本も演出も役者も、みんな良い。

 

イデア賞 「カメラを止めるな」(拙ブログ2018.8.27)

映画の撮影現場には面白いネタが一杯ある。ワンシーン・ワンカットの大変さを逆手にとって、それをドタバタゾンビ映画にしたアイデアには拍手。しかしここまで当たるとは…