映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2018.07.01 「終わった人」 丸の内TOEI

2018.07.01「終わった人」丸の内TOEI

 

会社が全てだった男(舘ひろし)が定年を迎えた。何をしてよいかわからない。腑抜けの様になる。10年以上前のテーマだ。とは言いながら、今も僕の周りでは定年になって、午前中が長くって、とか、何をしてよいか分からない、とか、オレ趣味無いんだよなぁ、とか、蕎麦打ち教室に通うか、と言う人が結構いる。ということはまだこのテーマは有効ということか。

定年を迎えた日、妻(黒木瞳)は、お疲れ様と言う。しかし心がこもっていない。妻は美容師の仕事を持ち、それが生きがいになっている。腑抜けた夫にイライラしている。優しくない。イヤな女だ。黒木瞳がそうなのではない。設定がイヤな女である。

図書館へ行き、たむろする老人を見て、オレはこの仲間ではないと拒否し、カルチャースクールへ入り、スポーツジムに通う。カルチャースクールで出会った広末涼子に勝手に恋心を抱き、勝手に勘違いして生気を取り戻したつもりがあっけなくフラれる。若いIT系の経営者(今井翼)と知り合い相談に乗る内に、是非うちに来て下さい、と請われ、社長に就く。元一流銀行のナントカ部長というキャリアの人がうちの様な若い会社には必要なんです。久々の背広でシャキッとし、男は仕事を通じて社会と接点を持ち続けなければダメなんだと改めて思う。妻が髪を染めてくれる。

これは詐欺だ!僕はてっきりそう思った。

知人で、取締役になってくれと言われて引き受けたと、嬉しそうに名刺を出した奴がいた。何の会社か聞かなかったが、名刺には確かに取締役と記されていた。その後知人は一切その話をしなかったので、こちらも聞かなかった。何がしかの金を巻き上げられたのかも知れない。男の社会的認知願望に付け込んだこんな取締役詐欺みたいなものは履いて捨てる程ある。

でも若いIT経営者はジャニーズ今井である。今井に詐欺をやらせるのか。ジャニーズに汚い役はやらせません。今井は良い人のまんま突然心臓発作で死にました。この安易、開いた口が塞がらない。社員は、俄か社長にも拘らず、どうしてくれるんだ!と詰め寄る。イヤな社員たちだ。“社員が悪いのではありません、みんな設定が悪いのです”  借金は社長が負うしかない。自宅を売れば何とかなるか。この生活感の無さは何なんだろう。

故郷に帰った男を姉や母が暖かく迎えてくれる。そんな訳ないだろう。これまでほっぽらかしていたのに。幼馴染の伝手で農協だかNPOだかの事務の仕事に付く。

妻が来て、二ヵ月に一回位、髪を染めに来てあげる、と言って終わる。離婚した訳ではない。折に触れて、“卒婚”という言葉が出て来た。“卒婚”が落としどころということか。

一所懸命勉強して東大に入って一流銀行に就職して順調に出世した。でも重役には成れず、子会社の社長に出され定年を迎えた。この男にはこれまでの人生で自分の生き方を振り返る機会は無かったのか。それなりの退職金も貰って、子供は成人して、家のローンも無い。サラリーマンとしてはパーフェクトだ。なのにポッカリあいた“定年クライシス”。今まで“仕事”が全てだった、でもそれってもしかして“会社”が全てでは?

原作は内館牧子、これ多分TVの昼帯ドラマが良かったのでは。おばさんたちが、そうよその通りよ、うちの生ごみ!と溜飲を下げる。だが映画はそれだけでは成立しない。この男のこれまでの生き方価値観にクエスチョンが突きつけられているのだ。オレの人生これで良かったのか?でもそれに明解な答えなどない。ただ今までと違う何かが立ち昇らないと映画にはならない。

現実には、経済的問題、夫婦の問題、子供の問題、親の問題等、純粋に生き方として“定年クライシス”を悩むなど有り得ない。この映画はそれら現実の諸問題を全て捨象して純化した“定年クライシス”を生き方にまで遡ることなく、浅く安易にエピソードとして並べただけ。これでは映画にはならない。コメディにして笑い飛ばす訳でもない。館が悪いのでも黒木が悪いのでもない。企画が悪いのだ。安易なのだ。

男と異なる価値観で生きる者として田口トモロヲが配されているのだが、アンチとして男と対立する訳でもなく、飾り以上ではない。

音楽は付けようがなかったか。ただドラマの感情の起伏に合わせて、悲しかったりコミカルであったり、そんな増幅を当たり障りなくやっている。音楽家の責任ではない。

 

突然時代ずれした古臭い歌が流れた。主題歌だ。今井美樹だ。ただ古臭さしか感じなかった。映画が映画なので、余韻をぶち壊そうがどうしようが、どうでも良い話だが。

 

監督.中田秀夫   音楽.海田庄吾