映画と映画の音楽  by  M・I

音楽を気にしながら映画を観る、そんな雑感

2020.01.16「パラサイト」TOHOシネマズ日比谷

2020.01.16 「パラサイト」TOHOシネマズ日比谷

 

<ネタバレだらけ>

韓国映画喰わず嫌い、ポン・ジュノ全くの初心者。観て驚いた。圧倒的に面白い。口開いて観て面白く、後で考えさせる。エンタメにする力技、邦画は歯が立たず。

 

半地下に暮らすということにどうしてもリアリティを感じられない。映画的虚構に思えてしまう。しかしあれが韓国の紛れもない現実らしい。しかも半地下のさらにその下がある。TVでソウルのスラム街の様子をやっていた。ここの人は半地下にすら住めないのだそう。

このキム一家、母チェンスク (チャン・ヘジン) はかつてアスリートだったらしく部屋にはメダルが飾ってある。父ギテク (ソン・ガンホ) は失敗したとはいえ、台湾カステラの事業をやっていた。長男ギウ (チェ・ウシク) は何度目かの大学受験を目指す。妹ギジョン (パク・ソダム) も美大を目指している。決して最下層ではない。けれど今はみんなで宅配ピザの箱作りの内職で食いつないでいる。外で立ちションする男の足元が目の前にある、携帯が繋がるところが部屋の隅で見つかったと喜ぶ。大雨が降れば下水もトイレも逆流して噴出す。それでもちっとも悲惨じゃない。それをコメディとして面白がれる様に描く。ベースに家族の仲の良いことがある。こんな家居られるか! と飛び出すとか、諍いが絶えないとか、そういうことは一切ない。映画がそう描いているだけなのか、それとも韓国にはまだ家族の絆というものがしっかり残っているからなのか。

 

長男の友達の大学生が家庭教師の話と怪しげな石を持ってくる。この石、幸運をもたらすものなのか、破壊の象徴か。

家の前にある階段、それを登った先に広がる富裕層の屋敷群、その中の一軒、入り口の狭い階段を登る長男を下から手持ちカメラが追う。登りきったそこに開けた広い芝生の庭、モダンアートの様な邸宅、視界が一気に広がる。狭い階段に比して不自然な位広々としている。背後にはなだらかな丘。IT企業の若き社長パク・ドンイク (イ・ソンギュン) と美しい妻ヨンギョ (チョ・ヨジョン)、高校生の娘ダヘ (チョン・ジソ) と小学生の弟ダソン (チョン・ヒョンジュン) 、長男は娘ダへの英語の家庭教師として入り込む。初日からしっかり娘と母親の心を掴む。イリノイ大学? 留学の経歴あり等、履歴書証明書は妹が完璧な偽造をする。父親は娘を褒め称える、罪の意識は全くない。この辺からはコンゲームに近い。長男はダソンの美術の家庭教師として妹 (ジェシカという名で) を紹介する。シカゴ大学卒の美術療法が専門の知人の知人というふれ込み。妹もネットで仕入れた俄か知識でダソンと母親の信頼を得る。二人が職にありつき家族四人祝杯を挙げる明るさ。作戦は続く。妹が前の運転手を追い出してまんまとそこに父親を据える。最後に、前の持ち主であり屋敷の設計者でもあった人の時から居た、この家の主の様な家政婦を桃アレルギーを利用して追い出し、母親がその座に座る。パラサイト完了である。

奥様は人を疑わない、Young and simple、 金持ちなのに優しい人。母が言う、金持ちだから優しい、あたしだって金持ちだったらもっと優しくなれる。

些か強引な運び、けれど演出の妙と役者の演技ですんなりと納得させられる。程好くハラハラドキドキもある。ダソンが運転手とジェシカと新しい家政婦が同じ匂いだと言った時にはどうなるかと思った。コンゲームものエンタメとして完璧な展開。

 

音楽、冒頭、Pfが三拍子のリズムを刻む曲が半地下の生活へ導く。音楽による上手い導入。

ハラハラドキドキに細かく付けて話を分かり易くする。コンゲームものとしては常套手段の付け方。Pf中心に、グロッケン、チェンバロ、弓弦の様な太いピチカート、Synの高音、物語に則して手堅い。一箇所スネアが入ったりもする。

パク社長の車はベンツ。そんな車、運転したことがない父親が長男と販売店で運転操作を練習するところから、突然バロック風の弦の曲。父親は運転手に母親は家政婦に、この一連に、音楽かなり長く通して付けていた。音楽で一括りにして一気に話を進める。音楽終わった時、一家のパラサイトは完成。家政婦が寂し気に不可解に一人去っていく。そこにPfのソロ。

また突然明るい女声コーラスの讃美歌の様な曲がずり上がりで入り、パク一家がダソンの誕生日を祝ってキャンプへ出かけるという騒ぎ。この曲には高音でミュージカル・ソーの様な音色が混じっていた。Synでやったのだろうか。

この二曲、他の曲とは異質だが効果的で中盤をすっきりとさせている。どちらも初め既成曲かと思った。それ風のオリジナルらしい。

ただ二曲目、もっと早めにFOした方が良かったのでは。パク一家が出発して留守となった屋敷を我が家の如く占拠して寛ぐキム一家、そこのシーン頭まで。芝生に寝転がる長男までは引っ張り過ぎと思う。寛ぐキム一家は素で見せたい。効果音に任せたい。重箱の隅か。

 

大きな一枚ガラスのリビングでパラサイト成就の祝杯を上げたその時、突然雷が鳴り雨が降り出す。いいタイミングだ、と父親。この辺の余裕、良い! 寛ぎを挟んでここからは後半戦。

インターホンがしつこく鳴り、家政婦がずぶ濡れでやってきた。ドタバタ・ホラー・ブラックコメディーの始まり。この家には人が棲める程の地下室があった。北の攻撃に備えたシェルターである。そこには借金取りに追われた家政婦の夫が住んでいた。そういえばパク社長が、家政婦は良くやるが人の二倍も喰うと言っていた。密かに食料を差し入れて長きに渡り棲まわせていたのだ。このまま夫を棲まわせてほしい、チュンスク姉さん、と懇願する家政婦。そこに三人がなだれ込んできて四人が家族であることがバレる。それを携帯で撮影した家政婦、奥様に送信する! と騒ぐ。形勢逆転、今度はチェンスクが、ムングアン妹よ落ち着け! となる。かざされた携帯の前に四人は手も足も出ず。夫は北の核爆弾の様だといい、家政婦が北の将軍様のTV発表の真似をする。背後にフルボリュームで太陽が降り注ぐようなカンツォーネ、これはLPレコードに針を落とす画も入るので既成曲である。このカンツォーネも効いている。明るいコントラプンクトは難しいもの。

 

電話が突然鳴り、キャンプを繰り上げてこれから帰る! と奥様。家政婦と夫を地下に蹴落として、飲み食いしたテーブルを片付け、8分後に到着する一家の為にジャ-ジャ-麺を作る。3人は間一髪テーブルの下に隠れる。それと気付かぬ社長と妻はすぐ脇のソファーで交歓する。中々エロい。

明け方二人が寝ている隙に脱出した3人が雨の中家に戻ると一帯は浸水の真っ最中、まもなく水は半地下ハウスの天井に達しようとしていた。逆流して黒い水が噴出すトイレに蓋してそこに立膝で座って煙草を吸う妹、この不貞腐れた肝の据わり方、大好きなシーンだ。

避難所の体育館で落ち着いたところに奥様から電話が入る。キャンプが出来なかったから家でパーティーをやるという。大雨も関係ない高台の家の朝は爽やかな快晴である。

ガーデンパーティーの頭、招待客の中の女性が軽いリズムの入った曲をソプラノで披露する。歌詞があったか無かったか、オリジナルか既成曲か。けれどこれも効果的。

 

地下の家政婦の夫がパーティーの庭に現れてからは怒涛の展開、そして惨劇。家政婦と夫は死に、妹は家政婦の夫に刺され死亡、パク社長は父親に殺される。殺意があったのはパク社長殺しだけ。その日の朝からのパク社長への違和感が、“匂い”で遂に決壊してしまったということ。後で、パク社長にはすまないことをしたと述懐する。事件は、行きずりの通り魔事件として処理され、犯人は足取りもつかめず突然消えたということになっている。

地下と半地下は近い。簡単に行き来出来る距離だ。父親は家政婦夫と入れ替わり地下の住人となっていた。それに気が付いたのは長男、屋敷を見下ろせる丘に登った時、照明の点滅の不自然に気付く。地下の父親がモールス信号を使って“息子よ”と呼びかけていた。モールス信号を解るのは、父親と長男とダソンと家政婦夫の四人、子供の頃のカヴスカウトという同じ経験を持っていた。

“親父よ、根本的な解決方法を見つけた、大学に入り、仕事で金を儲け、あの家を買う、それまで少しの辛抱! ” (そんな意味) 長男から父親への届かない手紙で終わる。

 

二度見でこの作為に満ちた脚本の辻褄合わせがいかに綿密に出来ているかに感心した。無駄な台詞はなく、一言一言が何かの伏線や理由づけになっている。どんなツッコミにも耐えられる。それを、絶妙な屋敷のセットと対照的な半地下のセットと美術の中で、役者が消化し演じ、音楽がテンポ良く運び、カメラが技術を総動員して撮る。監督がそれを纏め上げる。エンタメ映画とはこういうものと見せつけられる。背後にはしっかりと格差社会への強烈な批判がある。

みんな誰も恨んでいない。親父は、殺してしまったパク社長に、すまないと思っていると述懐する。かつて家政婦夫は毎日地下から、パク社長Respect! と叫び照明を付けていた。誰もお金持ちの勝手を恨んでいるそぶりを見せない。パク一家の描き方も見ていて反感を抱く様にはしていない。“匂い”だけが差別の象徴として通奏する。金持ちを倒せ、改革だ、革命だ! にはしない。“怨”を底に秘めつつ、笑い飛ばすということか。だから地上の人のスキャンダルには激高するということか。

同じ“格差社会”を扱いながら、「わたしは、ダニエル・ブレイク」(拙ブログ2017.03.28 )「ジョーカー」(拙ブログ2019.11.08) 「万引き家族」(拙ブログ2018.7.02) とそれぞれに随分違うものだと感じた。何より違うのは「パラサイト」には“家族”が健在であるということだ。他の三本の“家族”は崩壊している、あるいは“疑似家族”である。本当に韓国には“家族”がこんなにもしっかりとあるのか。映画的虚構ではないのか。

 

お金持ちはみんなアメリカへ留学するようだ。

ハイソの人は会話の最後に英語を使うらしい。Is it OK?

ジェシカ、イリノイ、シカゴ、と呪文の様に言うのが面白かった。

ギジョン (ジェシカ) の何と可愛いこと、一度見の時はそれにばっか目が行ってしまった。若い頃の田中裕子を思い出す。目パッチリ韓国正統派でちょっとエロいチョ・ヨジョンも良かったが、パク・ソダムの不貞腐れ気味の可愛さが僕には優った。PCで偽造書類作る時のくわえ煙草、浸水中の便器の上で立膝付いて煙草を吸う姿、何と魅力的!

母親、絵沢萌子に似ている。

 

エンドの主題歌、これは何とも言えない。劇伴の中の曲で締めて欲しかったという気もする。音楽のチョン・ジェイルという人、オケもSynも両方いける人のようだ。映画と一体となった良い劇伴である。

 

今年最初の映画はこれだった。翌日「お帰り寅さん」を見た。どちらも面白かった。四角くてエラの張った大きな顔で幕が開けた。オスカーを取るとは思わなかった。

 

監督. ポン・ジュノ  音楽. チョン・ジェイル